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我が子が自死(自殺)で先立ってから、楽しめないどころか苦痛になった日常の二大娯楽が、音楽鑑賞と映画鑑賞でした。


食欲は無くてもなんとか食事はできる、泣き疲れ果てた末であれ睡眠も一応とれる、そんな自分でしたが音楽鑑賞と映画鑑賞は暫くの間できませんでした。



我が子との思い出の詰まった曲はもちろん聴けない、聴きたくない。

新譜の楽曲にも興味が湧かないし、聴く気力も無い。

カーステレオに流れる曲には、ほぼ全曲、全アルバムに亡き子との思い出が詰まっていますから、聴きながら運転するなど……恐ろしいことです(事実、何度も車を小なりぶつけました)


そうかと思えば、無音の室内に居るのも耐えられないので、テレビは垂れ流してはいるけれど見もしない。

CM時の大きめの音に神経質にビクビクしたり、今考えるとやはりそれ以前の状態ではなかったようです。



大好きだった映画鑑賞(もしくはドラマ)は、ストーリーを追う行為がそもそもできない、集中力も気力も無い。

見ていたとして、いちいちストーリー上のエピソードに亡き子との思い出が繋がってしまうと、途端に奈落の底に突き落とされるような悲しみの襲撃に遭います。


もはや映画館に足を運ぶことなど考えられない。

あの暗がりの中に閉じ込められるような状態で、爆音量のストーリーをわくわくしながら追い、エンジョイ(享受)できるような精神状態ではなかったんでしょうね。



それが、亡き子の(生きていれば)15歳の誕生日が近づいた頃、遺された家族皆で映画館に足を運ぶことになりました。


ありえないほどの悲しい死別後、初めて映画館で鑑賞した映画は、なんとギャグコメディー(人情モノ)。

少年ジャンプで人気を博したあの漫画原作、亡き子も含め家族全員がハマっていたコミック、初の実写版です(^_^;)。


銀魂』……小栗旬、菅田将暉他出演。


家族みんなで楽しめるはずだった映画をチョイスしたのは、うちの家族なりの供養の一つだったのだと、今では思います。



普段、そんなに大騒ぎするような子ではなかったのですが、ツボに入ったときの笑い声が突拍子もない爆音で、ゲラゲラとのけぞって『笑い転げる』、そんな子でした。

その笑い声が近所中に響きわたってくると、まだ姿は見えなくとも、そろそろ玄関の戸を開けるかな。。と、気づくほど。

数人の友だちと、どんな会話で盛り上がっているのやら、元気にふざけた笑い声を聞くと、『マンモス中学校だし、入学当初は心配していたけれど、中学生ライフもなかなか良い感じで進んでいるな』と、微笑ましく我が子の成長を眺めていたものでした。

家の中でも時々(6つ年上の)お姉ちゃんと何かふざけて、ビックリ箱を開けたときのようなけたたましい笑い声を上げるので、私は飲んでいたコーヒーカップをひっくり返すほどに驚かされていたっけ。

なのに、周囲にはそれほどまでに悩んでいた素振りも見せずに自死……。



亡き子に対し、家族それぞれが様々な想いを胸に抱きつつ、久しぶりに連れ立って映画館の大スクリーンを前にした私は、なんとのっけから噴きまくり、大笑いしました。

そして、ゲラゲラ笑いながら涙も流していました。


 ――あの笑い声が愛しい。


自分の隣の席に亡き子が座って、スクリーンを笑転げながら見ている様子を想像して、胸が締め付けられますが、良い具合に『銀魂-実写版』は容赦なく笑わせてくれるので本当に助かりました。

涙を堂々と拭っても、まわりの人たちには『笑い過ぎによる涙』にしか見えませんから(^_^;)。


『娯楽』…… ゴ  たのしむ、なぐさみをしてたのしむ、とも言うらしいですね。

一緒に笑い合って楽しめた映画も漫画もドラマもコンサートも、まだまだたくさんあったのになぁと、悔しくてなりません。


遺書の最後のほうには、こんなことが書いてあったのを思い出しました。

もし私がユウレイになったら、また4人でどこかへ行こうね

…………。

たとえユウレイになっていたとしても、霊感とは無縁の我々家族には、なんにも見えないんですけどね。

悲しい遺書もツッコミどころ満載の一文で締める、まるですっとんきょうな子でした。

📷亡き子は生前『おそ松さん』というその昔の『おそ松くん』のリメイクアニメ成人バージョンを崇めていたので、当時家に届いたばかりの小さな仏壇のナカミが揃うまで、おそ松さんのイラストポストカードを飾っていた我々家族。

考えてみれば亡き子に負けず、すっとんきょうですが(・_・;)、映画『銀魂-実写版』をきっかけに、我が家なりの『亡き子への供養の形』が、出来上がっていったように思います。


一緒に楽しみたかったことを無理なくエンジョイしてみよう。。

それも供養の一つだと。


  * * *


娯楽のひとつ、映画鑑賞は現在復活し、2020’米国アカデミー賞が発表される前日に、話題作だった韓国映画『パラサイト』を観に行ってきました。

なんとも救いようのない内容の映画でしたが、アカデミー賞4冠獲得で作品自体は大きく救われましたね!


我が子の自死に遭うという私の救われない人生も、こんなふうに救われることがあればな~

あるかな……あるとすれば(;´Д`)きっと……(遠い目)。

星のしずく*管理人


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日 時 *2020年3月29日(第5日曜日)

    *13:30~16:00(受付13:10より)

場 所 *浦和コミュニティセンター【第9集会室】※お間違いのないように

    埼玉県さいたま市浦和区東高砂町11-1

    (JR浦和駅東口徒歩1分PARKO10階)

    ↑詳細はリンク先かトップページ地図を参照にしてください。


【2020年開催予定日】

※奇数月の午後1時30分~4時の開催を予定しています。会場予約等の都合により変更になることがありますので、確定次第ホームページトップでもお知らせします。

 第4回 終了しました。⇒開催報告

 第5回 3月29日(第5日曜日)第9集会室

 第6回 5月17日(第3日曜日)第2集会室

 *6月中にアートワーク(セラピー)『手のり地蔵づくり』を予定。

 第7回 7月を予定しています。

 第8回 9月を予定しています。

 第9回 11月を予定しています。


【2019年過去ログ】

 第1回⇒開催報告

 第2回⇒開催報告

 第3回⇒開催報告


*参加費 300円(会場費・茶菓子代等)

*会場案内は『星のしずく』と表示されています。

*匿名での参加もOK、予約等は不要です。

*お互いのプライバシーを守るため、若干のルールのもとで行っています。

*参加者は自死遺族(パートナーは婚姻関係不問)のみの会です。

*営業・調査・研究目的の参加はお断り申し上げます。

*『星のしずく』は、いかなる政治・宗教等とは無関係です。


 お気持ちが向きましたらご参加下さい。

 安心して参加できる会を心がけています。

 どうぞよろしくお願いします。

星のしずく*管理人

14歳で自死(自殺)した我が子の祥月命日のある1月、特に2020'年明けには私の実母も(認知症の末)老衰で永眠したこともあり、とても長く感じました。

それでも事後3回目となる『この時期』の過ごし方にも多少の慣れが生じてきているのか、メンタル的には1回目のそれとは比べものにならないくらい難なく過ごせたと感じます。


慣れていくことは、悲嘆からくる苦しみにとって助かる反面、ある意味どこか物悲しい。



そんな1月、今年も亡き子の親友さんたちが自宅弔問にいらしてくださいました。

生前通っていた中学校での友人たちの他に、学校外で交流を続けていた2人が、この『親友さんたち』です。


ひとりはウェブサイトを通じて知り合った、他県の子。


もうひとりは小学校からずっと仲良くしていた、さいたま市内の(別区へ引っ越した)子。


この2人とは生前、ウェブサイトを通して小まめに連絡を取り合ったり、実際に郵送でプレゼントやらを送り合ったり、夏休みや冬休みには集まってどこかへ出かけたり、家に泊まって遊んだりするような間柄でした。

(逝ってしまう1週間ほど前にも家に泊まりで遊びに来ていました)。


そして、学校の机の上に置いて逝った『いしょ』と題されたものとは別の手紙が、数日後にそれぞれ郵送されていた、つまりダイレクトメールで亡き子からの遺書を受け取った2人。


それから3年、この親友さんたちは、自宅弔問に毎年来続けてくださっているのです。

(納骨されたお墓が遠い東北の地にあるので、さいたま自宅弔問に訪れる人の割合が高い)。


事後最初の年には、同県の親友さんは母親を伴って夏にも訪れてくださったり、2年目には体調不良で1月弔問が無理となった他県の親友さんと後から申し合わせて夏休みに、とにかく3年間来続けてくださっていて、それはそれでとても有り難いのです。


けれど、(今振り返って思うとですが)事後1年目めの年などは、同級生の子たちを見ることほど辛く悲しく……苦しいものはありませんでした(^_^;)。



この子たちはこうして生きているのに、なぜあの子は自ら死なねばならなかったのだろう?


たった14歳で、この先の人生に自ら幕を引く……


なぜ?…… なぜ?……



友人たち皆を質問攻めにもしたい衝動にかられたこともありますし、実際にこの親友さんたちには問いかけたこともあります。

しかし授業中、学校敷地内での自死ということもあり、衝撃を受けたのは友人たちも一緒なのだと、別の心配もあったので突っ込んだ質疑はせずに耐えてきました。


『誰も悪くない』


『自分で決めたこと』


遺書にも明記してあったので、亡き子が遺した言葉を尊重する意味でもです。



しかしその反動も加わり、生きている同年代の子たちを近所で見かけるのが非常にしんどい時期でした。


命輝ける生き生きとしたものへの妙な嫌悪感、違和感。

電車内でも聞こえてくる若者たちの話し声……、今後の予定? 明日の話?

『明日』なんて、今この瞬間立っていることさえギリギリのメンタルで、半歩先どころか足元すら見えない状態。


あの時期から3年経ち、今年お正月明けに自宅弔問にいらしてくださった親友さんたちは高校2年生になっていました。

会話の中には構えずして『近い未来(明日)の話』がサラッと出て来ます。

2人とも大学進学希望で、ひとりは既に美術系の高校に在学していて、この先も美術大学を希望していることを生き生きとした瞳で語ってくれました。



 ――あれ?


これまでの弔問時には、まるで湧いてこなかった気持ちが……、自然に……。


 ――え?


私も一緒に浮き浮きとしているのです。

亡き子も絵を描くのが大好きで、将来はイラストレーターになる! なんて語っていたので、重ねて見てしまったのかな。


いや、これも慣れなんでしょうか。

『明日の話』を相手の立場になって一緒に語れるようになっている……、無理などしていないし、この2人の前ではする必要もない、私にとっても『親友』に近い者になっているのかな。


と、そのとき他県の親友さんが、

「高校の卒業(美術)作品をこれからやるんですが、◯◯ちゃんをモデルに描いていいですか?」と。



 ――――。


予想もしていなかった申し出に、一瞬言葉に詰まりました。


「え、いいの? ……嬉しいなぁ、ほんとに……?」


笑って答えたつもりが、ほろっと泣いてしまいました。


📷写真の絵は、亡き子が小学校4年生の時に、親友さんのひとりを学校の課題『友情』で描いたものです。


『明日の話』


そう、未来の話が自然にできるようになっている自分。

しかも亡き子の親友さんたちと(いや、親友さんたちだからかな?)。


またひとつ、先の楽しみができました。

親友さんたちを通して、亡き子の生前の夢も生き続けているような気もしてきて、本当にわくわくしてきました。

(私もぼーーっとしてられないね(^_^;) ← は?)


明日を作ってくださった親友さんたちに、心からありがとう。

完成させるとか気負わずに、卒業作品を楽しんで欲しいなと。

亡き子をモデルに描きたいと思ってくださったことだけで(^-^)私は胸いっぱい、お腹いっぱいですから。。。

星のしずく*管理人


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【NEW!】一般社団法人 全国自死遺族連絡会のリンクを掲載しました。


【NEW!】埼玉県立精神保健福祉センターHP(福祉関係先リンク)を掲載しました。


★自死遺族とうきょう自助グループみずべの集い

 2月の「わかちあいの会」は22日(第4土曜日)13:30~16:00です。


★雨宿り 府中わかちあいの会 Aグループ

 (子供を亡くされたご遺族)

 2月の「わかちあいの会」は29日(第5土曜日)14:00~16:00です。

 ※午前中、個別に遺族スタッフがお話を伺う事もしています(要予約)。


★雨宿り 府中わかちあいの会 Bグループ

 (パートナーを亡くされたご遺族)

 2月の「わかちあいの会」は開催しません。

    ※次回は3月28日(第4土曜日)です。


▽それぞれの詳細はこちらから▽

 星のしずく*リンク*心をつなげる場へ

祥月命日1月12日。

2017年、我が子が自死(自殺)で旅立ってから3年経ちました。


遡ること3年弱前、四十九日の法要を自宅で執り行ったのですが、その当時既に認知症を患っていた実母を連れて実父が遠方からさいたま宅に来てくれました。

持病の手術予定が組まれていたため、私の両親は葬儀に参列不可能でしたので、四十九日には何がなんでも駆け付けたかったようです。


そのときのこと。

数日の滞在期間中、日中の気温が一番あたたかな時間帯に、私は実母の手をとり一緒に春先の自宅周辺を散歩しました。

我が子が旅立った中学校周辺をゆっくりと実母のペースに合わせて歩きながら、私はひたすら話して聞かせたのです。


「◯◯ちゃんて覚えてる? お母さんの孫だよね、覚えてる?」


「うーん…………」


「あのね、その子がね、この学校の3階渡り廊下のフェンスからね…………」


「…………」


すでに孫の名前も存在も忘れてしまっていた実母に、それでも私は話して聞かせました。

もしかしたら、自分の辛い気持ちを声にして吐き出したかっただけかもしれません。

分からないのは承知で、それでも実母に話さずにはいられなかったあのときの気持ち。


実母はとても亡き子を可愛がっていて、遠く離れて暮らすようになっても、自身の趣味だった油彩画のモデルにしていたほどですから、自死した事実を知ればどんなことになっていたか……、どれほど悲しみ苦しんだか……、それこそ計り知れません。


でも、実母の認知症が進んでいたことが幸いして、何度説明しようと誰のことなのか分かっていないようでした。


「あのね、その子は死んじゃったの。あそこからね、飛び降りてね」


すると、


「なんで? かわいそう! なんで?」と、“落ちて死んだ”ことには反応を示していました。


「なんでなんだろうねぇ……、自分から死んじゃったんだよ」


「なんで? かわいそうに!」


「でしょう? かわいそうでしょう? 悲しいよねぇ……、その子はお母さんの孫だったんだよ。わかる? おぼえてない?」


「うーん…………」


「死んじゃったの。まだ中学二年生だったんだよ」


「かわいそう、なんで? かわいそうに!」


「なんでだろうねぇ」


同じ会話を何度も散歩中にしました。

誰のことなのかわかってなくとも相槌を打ちながら「かわいそう!」「なんで?」と返してくれるんです。

それこそ認知症の症状に似かよった“執拗に繰り返す話”を延々と聴いてくれ、感じたままを簡潔に返答するというのは、あのときの実母にしかできないことだったと思うのです。

愛する人の自死を体験していない人ならば、悲しすぎる話に対応できない、もしくは寄り添いたいと思っても噛み合わない返答になってしまったり、必要以上に諭すような出過ぎた答弁になっていた恐れもあります。


今になって考えるとですが、あのときの実母の状態は有り難いことであり、私のメンタルの支えになっていたんだとわかりました。


皮肉な話ですけどね、認知症だったがゆえに、とてつもないショックを実母自身が受けることもなく、私を責め立てることもなく、悲しすぎる話に拒絶反応を示すでもなく、ひたすら繰り返し語られる嘆きの聞き役になっていたという哀しいエピソード。


けれど今こそ心の底からの感謝を述べたいのです。


ありがとう、と。


そして、

ごめんなさい、と。


大事に可愛がってもらい、一番大変な時期の育児にも協力してもらったのに、あの子をたった14歳で自死で旅立たせてしまいました。


ごめんなさい。


ごめんなさい。


そして、これまで本当にありがとう。


悲しい事から3年、奇しくも我が子が旅立った同じ1月に、実母は永眠しました。

葬儀告別式を終えて納骨された場所は、我が子のお墓の隣。

夫とそのご両親とも相談して、同じ霊園内の隣同士に配置した、私の実家のお墓。


悲しいはずの葬儀も、終始和やかなムードでした。

笑顔と涙の両方に包まれる小さな会場。

和尚さんがこれまた粋な方で、通夜のお経の後には、続けていきなりアカペラで歌を披露……(;´Д`)!?


♪『この街で』♪


隣に座っていた実妹が泣き笑いになって肩を大きく震わせていたので、こちらも噴いてしまいそうになるのを必死に堪える“我慢大会”ガキ使状態。笑


ありがとう。


ありがとう。


実母には、感謝しかありません。

そりゃぁ健康年齢を重ねた実母と、一緒に旅行にもまだまだ行きたかったですよ。


ありがとう。


ありがとう。


対し我が子……亡き子には、どうしても“ごめんなさい”の感情が強く出てしまいます。


生まれてきてくれたことにはありがとう。

楽しい思い出がたくさん作れたことにもありがとう。

けれど“ごめんなさい”の念が強いのです。


自死でこの世を去るというのは、こういうことなのですね。


死別後に遺された者の気持ちの違いを、これほどまでに感じた1月の別れでした。


写真は、我が子と実母が隣同士で納骨された霊園です。

遠くに太平洋が見渡せます。


 * * * * *

P.S.謝罪と感謝

1月11日に開催された【第4回 星のしずく*わかちあいの会】に、実母の法要日程が重なり突然不参加になってしまいましたことをお詫びします。

参加してくださった皆様には感謝し申し上げます。

本当にありがとうございました。

m(__)m

悲しいご縁ではありますが、またお会いして、たくさん亡き大切な人のことを語り合いたいです。


また(^-^)/

星のしずく*管理人


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年が変わり、寒さ厳しく足も重くなりがちな日々が続く折、お正月明け早々の1月11日に、第4回さいたま自死遺族*星のしずく~わかちあいの会を開催しました。


参加者は17名、うち初参加の方は6名で、まずは自己紹介から始まりました。


全体的に事後から日の浅い方の割合が高く、まだ2ヶ月という混乱の最中にいる方もおられ、涙も見える中、皆さん慎重にゆっくりとお話は進んでいき、話題は年末年始の過ごし方で一巡しました。


そこから、自分の心が時間と共にどんな風に変化していったか、という内容になりました。

事が起こった時は絶望し、経験したことの無いどん底ですが、あらためて話すことで、何かしら自身の心に変化があることを自覚でき、気持ちの浮き沈みや、行ったり来たりはありますが、どん底は永遠に続くものではない、出来ることも増える、ささやかでも楽しいと思えることもあると、前を歩いている方から語られることで、先の不安がぼんやりとですが、小さな安心になっていく様子も感じられました。


途中休憩を挟むと、パートナーを喪った方(4名)、お子さんを喪った方(13名)で立場別にまとまるように一部席替えをし、更に深い話になっていきました。


フリートークになると、打ち解けた空気も流れ、あっという間に終了時刻が近づきました。


今回初の試みで、会の最後にその場で出来る軽いストレッチを取り入れました。

5分ほどでしたが、肩や足を動かして固まった身体をほぐし深呼吸すると、ほっこりとした空気が流れ、表情が綻んだところで閉会となりました。

閉会後は希望者10名で、近くの飲食店でクールダウンの時間をもちました。


たくさん話された方も、聞く事が多かった方も、それぞれが得るものを感じた内容の濃いわかちあいになったと思います。

また2ヶ月後、お顔をうかがうことができたら、嬉しく思います。

参加して下さった皆様、ありがとうございました。

スタッフK


 * * * * *

次回【第5回】わかちあいの会は、3月29日(第5日曜日)浦和コミュニティーセンター第9集会室で13:30からです。(受付は13:10より)

当日お気持ちが向きましたら、ご参加ください(^-^)。

星のしずく*管理人


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我が子が旅立ってから二回目の年の瀬だったと思います。

その年もめげずに? 毎年亡き子と撮影会と称して楽しんでいた各地のイルミネーションを(亡き子を偲びながら一緒に)観て歩こうと、仕事帰りに近場の街角を歩いていた時でした。


突如横から、

「すみません、〇〇書店はどこですか?」と尋ねられたのです。


見ると、私とやや同年代の母親とその娘さん(たぶん亡き子と同い年くらいの中学生)(制服を着ていました)でした。


……なんだこのシチュエーションは……!


年末、せわしなく煌びやかな街角で、よりによって同年代の親子連れに声をかけられるとは……、出来過ぎた運命の悪戯か、神様の意地悪かと一瞬ギョッとしましたが、自分でも驚くくらい冷静に、しかも明るくフレンドリーに道案内をしていたんです(;゚Д゚)。


ダテに二年弱過ごしてきたわけじゃないんだなと、この時思いました。


私なりに、このとてつもない大きな悲しみを抱えながらでも歩けるようなメンタルに鍛えられてきている!?

なぜならもし一年目に同じようなことがあれば、無視して逃げるように走り去ったか、その場で石のように固まってしまうか、もしくはなんとか道案内できたとしても、その後ぐずぐずと泣きながら帰ることになっていたでしょう。


悲しみは無くならない。

その大きさ、深さも変わらない。

けれど、自分自身が変化してきている。


そしてもう一つ。

まわりの親子連れや幸せそうな家族が眩しくて羨ましいのではないということにも気づきました。

道を尋ねてきた親子に対しても、そういう感情はこの時なかったと思います。

だから、戸惑うことなく対応できるようになっていた?


考えてみれば“別の人間”の“別の人生”です。

私はそれが(親子一緒にいる姿が)羨ましいのではなく、それを見て思い出す、(我が子がこの世で生きていた時の)あの頃の自分自身が一番眩しくて羨ましいのだと気づいたのでした。



この日を境に、そこかしこで見かける『一見幸せな人々』を一呼吸おいて客観視できるようになりました。


季節ごとにある、騒がしい行事に浮足立って見える人々の姿に、必要以上にネガティブ思考に陥ることはない。

私が一番羨ましいのは、あの頃の自分なのだ。

世の中には、そういう思い出が持ちたくとも持てない人々だっているのじゃないか。

宝物の宝石のように輝く思い出を持つことができた今の自分は、悲しい事にはなってしまったけれど、時々そっと取り出して思い偲ぶことができる、決して不幸ではないのじゃないか、と。

今年で三回目になるこの時期。


悲しいご縁とはいえ、自死遺族の集いを通して出会い交流してきた天使遺族さんたちと一緒に、先日ほんの少しだけ遠出して、自分の中では地雷ともいえる“光のイベント”を観に行く時間を持てました。


それぞれの亡き大切な人も一緒に連れ立って参加しているような思いからか、参加者数も倍に感じたりもして(^^)。

(同じようなことが“わかちあいの会”でもいえますね、亡き大切な人も一緒に参加しているような感じ)

この日は、虚しさ悲しさよりも、僅かにですがエンジョイする気持ちの方が上回った貴重な時間になり、本当に有難かったです。

一回目、二回目の年の瀬とは少し違う、新たな良い時間、思い出を更新できたことに心の底から感謝します。


こうして、なんとか……なんとか、生き続けてこれた2019年を振り返り、たまには少し自分自身も労ってあげようと思います(^^)。

星のしずく*管理人


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“メリークリスマス”と“苦しみます”をかけたダジャレに『メリークルシミマス』とか『滅入り苦しみます』なんてのがありますね。

こんなダジャレで師走の時期を自虐的に笑い飛ばす、そういうことができなくなりました。

我が子に自死(自殺)で先立たれた親になってしまってからは、もうダジャレではなく、そのまま……自分にガッツリと当てはまる言葉になってしまい、笑えないどころか、本当に苦しい嫌~な季節に。

(まあ、どの季節もそれなりに苦しいんですけどね)


メリークルシミマス、今年も。


街角がイルミネーションでキラキラと彩られ、あちこちから聞こえてくる少しアップテンポのクリスマスソングに合わせて足早に向かう先は、愛する人のもと、愛する人たちの居る場所。

かつては自宅をメリクリ風にささやかながらデコレイトして、夕暮れ時には居間にキャンドルなんぞを灯して、ムーディーなメリクリソングをエンドレスで流し、鼻歌混じりに夕飯の支度をしながら家族の帰りを待つ、……今から思えば一点の曇りもない『幸せなお母さん』でした。


でも、幸せだと思っていたのは私だけだったのか、我が子はクリスマス、お正月のあと、晴れ渡った冬の日に旅立ってしまい、すべては幻に。


事後からは180度、世界は変わりました。


   *


一年目のクルシミマス。


あの頃は……もうダメかも、どんなやり方で抗おうと、このまま自分は悲しみという冷たい雪に圧しつぶされてしまうんだろうか……と。

人生で初めて、自分の努力だけではどうにもならないことがあるのだと身をもって知りました。

それでもまだ奇跡を信じるかのように、わざわざクリスマスムード一色の華やいだ街に一人で出かけ、マッチ売りの少女の如く、心の灯に亡き子との楽しかったクリスマスの思い出を恐々と浮かべてみようとするけれど、すぐに涙で消えてしまいます。


そして、映画やドラマのような奇跡は起きませんでした。


あたりまえですが、生きては戻ってきません。


けれど……


雪で作られたスノーマンが街角にひょっこり。

📷写真は2017年12月さいたま新都心で。


涙も凍るような悲しいイルミネーション街でしたが、思い立って出かけなければ、このスノーマンを目にすることもなかったのでしょう。


実家の雪国では、冬休み帰省して、雪で遊ぶのが大好きな子でした。

おじいちゃんに作ってもらった小さな雪山で、夕暮れまでミニスキーで遊んでいました。

皮肉にも冷たい雪で作られたスノーマンが、暖炉のようにあたたかくて楽しかった思い出を呼び起こしてくれました。


小さな小さな小さな奇跡。

あの子からの贈り物のようにも思えて。


一緒に街を歩いてくれてるような気持ちになり、妙なことを考えずに無事家路につくことができたのを憶えています。


『苦しみ“増す”』には、ギリギリならずに済んだ一番辛かったあの冬。

死別した大切な人は、生きて戻らなくても、時々……はっとするようなことで傍に感じることがあります。


そんな、小さな小さな奇跡を見逃さないように、今日も。

星のしずく*管理人


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2017年1月、当時中学二年生だった我が子が自死(自殺)で先立ってから、一年と半年ほど経った頃でしょうか。

お姉ちゃん(長女)が何を思ってか貸してくれた書籍が、この『かがみの孤城/辻村深月著』でした。


~生きづらさを感じているすべての人に贈る物語~


--2017年啓文堂書店文芸書大賞受賞

--王様のブランチBOOK大賞を受賞

--第11回神奈川学校図書館員大賞(KO本大賞)を受賞

--埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2017の1位

--2018年本屋大賞 第1位

--第6回ブクログ大賞を受賞


書籍のキャッチコピーや、話題作であることを裏付ける上記ニュースなどよりも、私の心を最初に鷲掴みにしたのが、本書の装丁の凝り具合でした。

実際に目にするとわかるのですが、わずかに凹凸のあるイラストとフォントデザインがとても美しく良く出来ていて、そのナカミが気になる(^_^;)、借りたのでなければ、CDやDVDなどでいうところの“ジャケ買い”になったような一品。

出版社サイドがこれほどまでに手をかけて愛情を注ぎ込み出版するのには、それ相応の作品なのだろうと思ったからです。

そして表紙の女子中学生のイラストにも、亡き子を重ねて惹かれるものがありました。


ミステリーとはいえファンタジー要素も強いのかな。

ギチギチに硬いだけのストーリーではなく、かといって夢見がちの“おめでたい”だけのお話ではない。

後半からはスピード感あふれる描写で、文字を追って読んでいるだけのこちら側にも「ええええ!?」という驚きと胸が詰まるような臨場感をもって物語が迫ってくるのです。


主要登場人物七名は、学校での居場所をなくしたような似た境遇の学生たち。

我が子の場合は登校拒否こそしていませんでしたが、本人なりの悩みを抱えて思い詰めていたという状況は、物語の子供たちと同じなので、その点でも重ねて読んでしまうこともあり、また考えさせられることも多く、ラストの方はもう涙を拭うことも忘れ物語に入り込み、読み終えると……、途端に悔しくなりました。


この本を亡き子に読ませたかった……! と。

このお話にあの子が出逢っていたら、もしかしたら死なないでいてくれだだろうかと……!


……なんて。

こういうのもタラレバの一種なのでしょう。

でも本当に悔しくなりました。

本書は2017年5月に初版書籍発売。

我が子が先立ってから四ヵ月後でした。

   *

なぜ今、この作品についてBlogで触れたのかと言いますと、ウェブ上にあるテレビ番組HPで一般からの書き込み板に投稿した私のコメントをピックアップして、うちに取材&弔問に来てくださったNHK(Eテレ)番組ディレクターさん方と、二度目にお会いした時、会話の中で『かがみの孤城』を持ち出して、私が熱く語っていたんですね(^^;)。

それを聞いたディレクターさんたちが本書を読み、その後、著者である辻村深月さんにコンタクトをとっていたようです。

そして今年2019夏の当番組で、辻村深月さんからHPに寄稿をいただくことができた、というお知らせがあったからです(^^)。


★辻村深月さんからの寄稿★

https://www.nhk.or.jp/heart-net/831yoru/diary/2019/diary001.html

(番組『#8月31日の夜に。』~生きるのがつらい10代のあなたへ )


まさか(間接的であろうと)こうした繋がりを持てるとは考えていませんでしたので、私は驚きと嬉しさと切なさでいっぱいになりました。

悲しいご縁ではありますが、我が子の自死があり、その後に繋がってゆく人の心と心、交流、さらには絆だったり、間接的にでも繋がりを持てたことで、今度はその繋がった誰かが公に向けて発信した言葉(コメント)であったりが、“今、まさに生きづらさを抱えている人々”に、良い意味で何らかのヒントや気づきをもたらしていくのであれば、それは願ってもない事ですから。


今、これを読んでいる嵐の只中にいるあなたにも、どうかしがみつける何かがありますように。荒れた海を泳ぎ切って、どうかこちらの岸まで辿りついてくれますように

辻村さんが言う「しがみつける何か」、先立った我が子にもあったはずなのになぁと。


ああ……

それにしても、生きているうちに我が子にも、もたらしてほしかったな~~と(-_-;)(タラレバであれ)今更ながら本当に悔しく思います。

それほどに胸に迫ってきた小説でした。

https://www.poplar.co.jp/pr/kagami/

光の加減で、タイトルの『かがみの孤城』の色味が変わるのも美しい。

/星のしずく*管理人


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我が子に自死(自殺)で先立たれてから、これまで数カ所のわかちあいの会に継続的に参加してきましたが、私の知る限りで最短で遺品整理(処分)に至ったという方は、事後一日か二日でした。

「亡き人を思い出すモノを置いておきたくなかった」というのがその理由でした。


確かにそれも一理あるかもしれないけれど、一日か二日で片づける(ほぼ捨てた)なんてスゴイよなぁと……事後からまだ日の浅かった私は、目を白黒させてお話を聞いていました。

でも考えてみれば、実家から離れて一人暮らしをしていた方を亡くされた場合などは、遺された者の気持ちには関係なく早めに期限付きで遺品整理・片づけをしなければならないのでしょうし、それはそれで大変辛い作業ですよね。


また、何年経とうが片づけたくない、そのまま保管しておきたい遺族もいてオカシクナイです。

そこには正解も不正解もなく、遺された人たちの考え方があるだけですから。

   *

うちの子は当時中学二年生で自宅から学校に通う生活をしていましたから、自宅の自室に残された遺品整理がメインになります。

私の場合は片付けに着手することがほとんどできませんでした。


自身の肺の手術を終えて退院してから一カ月間は、自宅三階にある亡き子のベッドで寝起き、夫は床に布団を敷いて、一緒にそのままの部屋で過ごしていました。(←術後当初は一人で起き上がれないこともあったので)


亡き子の部屋で目覚める恐ろしく虚しい朝。

自宅の中では一番明るくてあたたかい部屋なのに、その部屋を使っていた愛しい我が子が存在しない……震えあがるほどの虚無感。

深呼吸をして起き上がるまでに“我が子はもうこの世にはいないのだ”ということを思い起こさねばならない、朝の目覚めの恐怖の時間。

一日のうちで一番苦しかったのは、(苦しみの)始まりの朝でした。


布団にもカーテンにもぬいぐるみにも、我が子の匂いが染みついている、その愛しさと残酷さ。

部屋の主が居ないのに、まだ動いている部屋の壁かけ時計にも心が動揺して、脈拍が早くなってくるのです。


このままそっとしておけば、我が子が戻ってくるかもしれないという馬鹿な願い、おまじない、いや何かの間違いなのだ、一旦消えたようだけれどまた戻ってくるのだ……と。

私は少しオカシクなっていたのかもれませんが、あの当時は本当にそう考えて、何一つ部屋のモノを片づけたくありませんでした。

片づけたくないのに、目の前に置いて一つ一つのモノに思いを巡らせるのも辛い。

手をつけられない、教科書もノートも、雑然とした机の上のモノも、もし触ったら……なんとか止血しようと踏ん張っている心からまた血が噴き出しそうな感覚でした。

   *

やっと少し整理してみようと思い立ったのは、事後から数カ月後。

ぽかぽか陽気の日、窓を開け放ち、机の上やピアノの上を弄り出したのですが、たった一つのモノを触ってみてもたくさんの我が子の思い出がよみがえってきて、いちいち呼吸を整えねば苦しくて何も進みません。

遺品整理とは名ばかりで、絨毯に掃除機をかけたり、多少の埃を払ったりするのが精一杯。


夫は随分早いうちから、

おれは物には執着は無い。〇〇ちゃんが生み出した作品なんかは残しておきたいけどね。本人が使っていた物には執着が無いんだ」と語っていましたが、片づけは一切しません。

たぶん、私や長女の気持ちに合わせて、行動に移す日を待っていてくれたようにも思います。

そういえばどこかの会場で、親子で同じグループのわかちあいに参加されていたのですが、亡くなられた方の遺品整理について足並みが揃っていませんでした。

家族であれ、それぞれの立場や性格も違いますもんね(^_^;)。

そういう時は、両者少しずつでも歩み寄っていった先で、決められる事もあれば、決められない事もありますし、やはり時間は要するようですね。


私は“時間薬”なんて無いと思っています。

“時間”は薬にはならないけれど、なにかしら他に薬になるものがあるとして(たとえば人の言葉・思いやり←人薬だとか)、それが効いてくるのには“時間”を要すると思っています。



我が子が先立ってから(この時点で)二年と十カ月経ちました。

大切に育ててきた愛しい子の部屋、遺品整理がなんとなんと最終章に入ります。

机は中学卒業証書をいただいた(事後一年三ヵ月後の)春に、長女が机を新調したいとのことで、亡き子の机と一緒に処分しました。

(お姉ちゃんの机と一緒なら寂しくないかな?(^_^;)とか)


亡き子の洋服は、着れそうなものは私と長女とで形見分け。

部活動用に新しく買いそろえたばかりの白ソックスも、私が悲嘆回復の一環として始めたパート先でほぼ履きつぶしました(^_^;)。


集めていた趣味の本やゲームは、長女が現金に替えて処分してきたようです。←やりおるなぁ


本人が生み出した物(絵画や工作品)や文字が綴ってあるノート類はクローゼット内に収めたり、一部飾ったり、家族の誰かが生きている限りは保管していく方向。

(ペットと称してかわいがっていたぬいぐるみ第一軍(笑)も保管の方向)その他二軍以下?のぬいぐるみやオモチャは洗って託児所などに寄付することにしています。


ピアノは、私がボケ防止のために(;'∀')大人のピアノ教室に通うことにして残しておく。←まあ弾くのはまだ辛いですけど……


そしてつい先日、亡き子が生まれた時から使っているベッドを解体して廃棄処分しました。

12月に夫の学生時代の学友が泊まりがけで山口県から遊びにくるというのです。

その友人を泊める客間にしようかと(それをキッカケに)整理しだしているのですが。

こうしたたまたまのキッカケと家族の気持ちの寄り添い具合、タイミング、すべてが揃っての遺品整理最終章に入っているこの頃。


遺品(物)とはいえ悲しくない、未練はない、とは言い切れません。

けれど、どこか気持ち的にスッキリしてきているのも事実だったりします。

📷写真は生前我が子が小学生時のバザーで買ってきてプレゼントしてくれたミニ薔薇です。

四季咲きなのでこの秋も小さな蕾が咲き始めていました。

これも私の目が黒いうちは、枯らすことなく咲かせ続けたいと思ってます。

星のしずく*管理人


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一日の寒暖差が激しい今暮秋11月9日、第3回さいたま自死遺族*星のしずく~わかちあいの会を開催しました。


参加者は16名、うち、星のしずく初参加の方は5名でした。


最初に一人一人自己紹介と近況を語りながら一巡、さらに踏み込んだお気持ちを語り合い一巡、グループ分けはせず皆で一緒にテーブルを囲んでのわかちあいになりました。


「行ってくるよ」と仏壇(遺影やご位牌)に告げてから、わかちあいの場に出向いたという方。

会場には着いたものの中に入れずに躊躇して、やっとドアをノックできたという方。

参加することにも皆それぞれの心構えであったり、心理状態の違いがある上、やはり大変な思いを抱えながら参加していることをあらためて思い知らされる様子も窺えました。


事後本当に間もない方が明かす非常に苦しい胸の内にも、事後数年経っても尚あふれ出る涙の中で語りだされる胸の内にも、悲しみだけではなく悔やんでも悔やみきれない怒りや激しい自責が入り混じった感情もあり、悲嘆が複雑であることを物語っています。

また、参加したことにより、多少なりとも気持ち的に上向きになったという方のお姿も見られました。

ひとつ輪になり、熱くわかちあった後は途中休憩を挟み、時間いっぱいフリートーキングをして閉会とさせていただきました。


閉会後は近くの飲食店で「クールダウン」のひとときを希望者の方で持ちました。


参加してくださった皆様ありがとうございました。

日毎に冷気が増してくる冬隣にさしかかる季節、いつもより気をつけて心も体もご自愛ください。


次回【第4回】わかちあいの会は、年明け2020年1月11日(第2土曜日)浦和コミュニティーセンター第2集会室で13:30からです。(受付は13:10より)

当日お気持ちが向きましたら、ご参加ください。

お待ちしています。

(^^)

星のしずく*管理人


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ある日突然の、我が子の自死(自殺)というショッキングな出来事から生まれ出た“悲しみ”は、感情のコントロール不能、泣けば泣きっぱなし、時に放心状態に陥ったり、かと思えば怒りの矛先が自分に向かったり他人に向かったり、一番思いやらなければならないはずの同じ苦しみを味わった家族に向けられたり……、まるで手が付けられない癇癪を起こしたような状態が続く時期もありました。


悪気は無いのであろう他者の言動にも神経質に傷つき怒り、時にそれは嫉みにも豹変したり、心の中は濁流で渦巻いていたようにも思います。


それでもなんとか生きてきて、今月の月命日(2019年11月12日)で2年と10カ月。

あの日生まれた悲しみは、あの時のままではなく、少しずつですが変化していることに気が付きました。

そんな今だから話せること(^_^;)……けっこうありますね。

以下、事後に言われて爆発寸前or爆発したエピソードの記録です(汗)。

   ◆

・自宅に弔問に来た伯父から言われたこと

勉強しろ勉強しろと煩く言ったんじゃないのかな

・私の心の叫び

はぁ!? 一度もあの子に会ったこともないアナタに言われることじゃないし、私のこともイマイチわかってないのに何言ってるの??」←後に奥さんである伯母に強く言い返しました。

   ◆

・義母に事後間もない頃言われたこと

〇〇ちゃんは、適応障害だったのじゃないかな

・私の心の叫び

適応障害と一口に言っても、たくさんの症状例があって、そのどれかに当てはまらない人がいないくらいなのに、なんでも病名をつけたがるのはやめてもらいたい。現にあの子は前日まで普通に学校にも部活にも塾にも通って、友達と普通に会話していたのに!

   ◆

・義理父に事後半年経った頃に言われたこと

悲しんでばかりでもいられまい、我々は生きていかなくちゃならないんだから

・私の心の叫び

悲しみたくて悲しんでるわけじゃない! 止められない! 止められるわけがない! これほどの悲嘆を体験したこともない人に、尤もらしいことを言われたくない!

   ◆

・義母に事後半年経った頃言われたこと

きっと何かむこうで(あの世)で必要があって連れて行ったんだと思うよ

・私の心の叫び

必要? あの世で? 必要な何かってなんですか?? そういうスピリチュアル的なことで慰めようったって、納得いくわけない!

   ◆

・実父に言われたこと

〇〇ちゃんは食うに困っていたわけでもない、家庭でもかわいがられていて、特別虐めや学校の指導上に問題があったわけでもない。両親も健在、年の離れた優しいお姉ちゃんもいて、恵まれた環境で育ってきて、なにが不満だったのか。俺なんて戦後食っていくだけでも大変で、実母も実弟も病死、そんな中を生き抜いてきたのに。〇〇ちゃんが自ら死ぬほどの理由ってなんなんだ

・私の爆発言

戦後の苦労話と比べるな! 私たちにはわからない何かがあったのかもしれないし、その感じ方も人それぞれに違うし!」←暫し実父とも険悪なやりとりに

   ◆

・近所で極めて仲良くしていて、事後も話をきいてくれていたおばあちゃんに言われたこと

バカな事をしたものね

・私の心の叫び

確かにそうだろうけど、他人に言われたくない!


……(^_^;)もうね、手がつけられない感じですよね。

まわりは悪気はないどころか、できる限り前向きに生きてほしいとかけてきた言葉であったり、肉親だから言える本音であったりしたのにね。

   * * *

とまあ、上げればキリがないほどまだありますが、その中で一番ギョッとしたのが、事後1年後の義妹の言動でした。


我が子が先立ったのは中2の3学期始めでしたが、学校やPTAの方々のお心遣いで、事実上は在籍していなくとも2017年3月から翌年3月の卒業までの1年間を、(架空で)在籍しているかの如く扱ってくださり、毎月一度、三年生に進学した新しいクラス担任とクラスメイトが学級活動に関する書類を届けて弔問にきてくれていました。

卒業式出席への案内もあり名前も読み上げられ(こちらから参列は遠慮しましたが)、卒業アルバムにも生徒写真を載せてくださり、ホンモノとほぼ同じ卒業証書まで発行してくださいました。

悲しいけれど、その精一杯の心づくしには心を揺さぶられ、感謝の気持ちでいっぱいで多少なりとも嬉しくなり、卒業アルバムに載った我が子の写メを義妹や実妹に送信したんですね、そしたらば……


義妹が、「今日はうちの長女も小学校の卒業式でした☆」と、二人娘……姉…妹…姪っ子とのスリーショットを添付返信してきたんですね。

同じく娘二人姉妹だったうちは、もう2度と母娘3人で一緒の写真など撮れないのに……、その無神経さに唖然としました。

事後1年は経っていたものの、それにしても……。


以後、こちらからは積極的に義妹に連絡をとることはやめました。


なんて(^_^;)……子供っぽい嫉みでしょうか。

でも気に障る恐れのある対象にはこちらから近づかないのも策ですからね。

手に負えない“悲しみ”をあやしておとなしくさせる方法を自分なりに習得しているのだと思ったり。

そして、そうこうしているうちに“悲しみ自体”も成長してる感じの今現在。


私の“悲しみ”(このブログアップ時点で)2歳と9カ月。

今日も健在ですが、良くも悪くも前ほどちょっとやそっとじゃ暴れることはなくなり、大分おとなしくなってきています(-_-)。

写真は、先立った子と同学年だった生徒さんたちの卒業式前日の下見で撮った檀上です。

仲良くしてくれたお友達にせめてものお祝いをと、卒業式の日に学校を飾る生花を、家族で寄贈させてもらいました。

星のしずく*管理人


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