あめつちひらけしほしぼしのもと
2019年の七夕の夜。
玄関でもぞもぞしていた小さな毛玉を発見したのは、外出先から帰宅した長女でした。
(母親も一緒だったと、写真を見せてくれました)
翌日、昼間から玄関に再び現れた二つの毛玉。
どうやら近所の子どもたちに追いかけまわされて、うちの植木鉢に隠れていたようでした。
有ちゃんがお空に還って逝ってから、ご近所で一番静まり返っているのは、我が家だったのだと思います。
以前のような大きな笑い声に包まれることもない、静かで(寂しい)落ち着ける家。
母猫も「ここなら安全かも」と、うちを選んで連れて来たのかもしれない。そのタイミングで、私も“開けし時”を、こころの奥底では望んでいたのかどうなのか。
自宅にあった餌になりそうなものを、我が子たちが昔使っていたプラスチックの小さなお茶碗に盛って出してやると、気持ち好いくらいの勢いでパクパクペロペロと完食した毛玉たち。その姿に『無邪気な生命力』を見せつけられ、それまで沈みきっていた気持ちがドクンドクンと強く脈打ちながら動き始めたのを感じました。
その翌日もまたまた訪れた毛玉たちを、待ってましたとばかり私は餌付けしていました。
(小屋に見立てた段ボール箱まで用意して(^_^;))
メスの子猫の方は、そのお部屋が気に入ったようで、一晩寝て過ごしていた模様。
オスの子猫の方は、姿が見えなくなっていたので、どこかへ去ったのかと思いきや、小鉢の中に頭を突っ込んで寝ていました👀。
(のちに『鉢』くんと名付けられた由来です)
そしてサクッと保護。
天も地も無い。
どちらが前なのか後ろなのか上なのか下なのかわからなくなったあの日から数年。
激しい悲嘆が過ぎ去ったのではなく、沈静化させているだけの静寂の中、空虚な日々が続いていた2019年(事後2年と半年の頃)。
きっと毛玉たちと我々家族には、お互いに必要としていたものがあったのだという絶妙なタイミングで「迎え」「迎えられて」、現在に至ったように思います。
その後、二匹はみるみる光度を上げて、我々の生活空間だけでなく、家族一人一人のこころを照らし始めていきました。
降臨した七月七日。
暗闇の中でうずくまっていたうちの家族にとってはまさに『天地開けし星々のもと』~世界が創造された時の様子の如く、七夕以上に、大切な記念日の一つに今やなっています。
どれほど彼らに救われてきたことか。
猫だけど、猫だというだけじゃない。
盆ちゃんと鉢くんという、我が家の救世主にゃのだ。
(家族以外の訪問者には姿を見せないので)
妖精さんのようでもあります。(汗)
(しかし向かいのさいたまの母には、窓ガラス越しに堂々と睨みをきかせている模様)
昼間は私の布団で昼寝が日課です。
(いい~顔して寝てくれるので癒されまくり)
有ちゃんに会わせたかったな。
もしかすると毛玉たちには会えて(見えて)いるのでしょうか。
必ず夜の23時過ぎ頃、最後に私が有ちゃんを見送った二階の階段踊り場を(特に鉢くんが)神妙な顔つきで凝視していることがあるのです!
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