ゆうちゃんノート
娘の自死があって暫くしてから、私はこんなノートを用意しました。
題して、そのまんま(^_^;)
『ゆうちゃんノート』
📸ムーミンとスナフキン表紙キャラは個人的な好みでチョイス☺
大切な人を喪ってから、その大切な人に纏わる不思議な体験をした方も少なくないですよね。
私は霊感などいっさいありません(たぶん)。
でも疑心暗鬼なりに、それ自体にほどほど興味はあります。
スピリチュアル的なことにも、傾倒こそしていませんが、全く興味がないわけではない、そういうスタンス。
愛する亡き子絡みの不思議な出来事があれば、『だったら良いなぁ☆』と、切なく胸が高まるのは事実です。
これほどの悲しい経験をしたのだから、ほんの少し穏やかな心情になれることであれば、自分に起きた事も然り、自分以外の遺族さんに起きた事も否定できないですし、寧ろ『だったらいいなぁ☆』とか『そうかもね☆』『きっとそうだよ☆』という気持ちに、やはりなります。
私にも、亡き子にまつわる不思議な体験はあります。
それは夢であったり、実際に目にしたり耳にしたりした事、様々です。
ひょっとしたら偶然かもしれないし、気の所為?だったこともあると思いますが。
それらをすべて忘れないうちに記録しているノート、それが『ゆうちゃんノート』です。
ただし、あとから検証してみたり、日が経ってから理由がわかったことや、現世での説明がつくことは、ちゃんと追記もしているという凝ったノート(´・ω・`)。←変なオタクか
ああ、あれについては私の思い込みだったのだなぁ~とか、冷静に考えてみる気づきになりますし、逆に謎のままであれば、もしかしてこれは………☆と、亡き人を偲ぶ良い意味で広がりを感じることもできますし、そうして心のバランスをとりたいのかも知れません。
しかしです。
それでも、やはり現世での科学的根拠や理屈で説明のつかない不思議な出来事ってあるものですね。
偶然だろ!と言われればそれまでですけど。
検証不可能な亡き子に纏わる不思議エピソードをいくつかピックアップしてみます。
↓ ↓ ↓
★事後、私の手術前精密検査で通院中たまたま心惹かれた、外来待合スペースの壁に数多く展示してあった絵画の作者【佐藤芳彰】の祥月命日が亡き子と同じでした。
★慌てて作った亡き子の遺影写真の中で、身に付けているブラウスとスカートが(本人お気に入りの普段着なのに)事後から依然紛失したままです。
(棺の中に入れたモノは写真に記録しているので、それのはずもない)。
(死ぬ前に本人が捨てたとも考えづらい←捨てたとしてもゴミ出し時にバレる)。
★事後、亡き子の部屋のテーブルの隅に(何かのおまじないだったのかどうかわかりませんが)、シルバニアファミリーの人形が5体、円く立ちならび取り囲んでいた『魔法の星のステッキ』が(私の術後、自宅に戻ってから紛失したことに気づき)探していましたが、その年の5月5日こどもの日に見つかりました。
📸人形のうち一体の洋服、胸部分に差し込んでありました(←家族に訊きましたが、身に覚えがないとのこと)。
★亡き子の部屋、3階に通ずる階段を上るハッキリとした足音。
(2回とも私と夫が2階の居間で一緒に聞いています)。
★亡くなった年のお盆、納骨のために田舎の実家に泊まった日の真夜中、私のスマホに不思議な写真が撮られていました。
📸撮影記録は2017年8月15日2時12分。拡張子はJPGではなくPNGで記録されています。
上手くアップできなかったのでスクショ画像で失礼します。
リアフレに検証してもらったところ、ノミかダニが画面越しに歩いていたところを寝ぼけてシャッターを押したのでは?と。
え( ̄▽ ̄;)………そうでしょうか??ダニ?ノミ??
ちなみにパソコンに送信してデカい画面でガン見すると、回りにもやもやとオーブのようなものが大量に写っていました。
★事後一年後に買いかえた新車のナンバーに亡き子の誕生日を指定、しかし指定できないひらがなナンバー部分が、亡き子の名前頭文字『ゆ』で納車になりました。
※50分の1の確率といえば、そういう偶然かしら? それとも………☆
★亡き子の左頬には生まれつき小さな痣がありました。
なぜか仏壇飾りに買った(本人似の)木彫りの『ヒヨドリ』の左側に、いつの間にかシミのようなものが出来ていました。
📸写真向かって右側にシミが………
★去年、私の実父が首脛椎の手術後、病室の窓にひょっこり飛んできて一時間以上見つめていたヒヨドリ? まさか亡き子が姿を変えて見舞いに来たかな?!笑
📸こじつけといえばこじつけですが、しかし!(;´Д`)かわいいヒヨドリ!←そこか
もっと些細な不思議出来事はまだまだたくさんありますが、第三者に説明してもわかりやすいものを載せてみました。
ブログを読んでくださった皆様にもそういうエピソード、けっこうあるでしょうね~(^-^)。
『ゆうちゃんノート』、これからも続いていくでしょう。
大きな大きな悲しみの中の、小さな小さな楽しみ。
亡き子と繋がるささやかな出来事。
私が人生を全うするまで、ずっとね。
◆手のり地蔵づくり◆
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