おもかげ
波のささやき
うみねこの語らい
虫たちの合唱
家族連れの賑わい
毎年訪れるこの場所で
浜風に揺れる
ハマナスの実に
耳を澄まして探してしまう
あの子の声を
あの子の姿を。
2017年、事後七ヵ月後の新盆時に、現在住んでいるさいたま市から遠く離れた八戸市に、先立った我が子の納骨をしたので、今年も帰省していました。
自宅で迎え火を焚いて我が子を呼んで、それから一緒に帰省しお墓まいりをするというこの儀式は、これまで過ごしてきた夏休みを気持ちの上で再現し続けているようにも思います。
新幹線で二時間強、お骨を家族で交代しながら抱きかかえ連れて帰った、新盆時の胸を抉られるような壮絶な苦しみからは解放されたものの、放っておけば悲しみは降り積もってゆく雪のようです。
『悲しみは雪のように』
なんてタイトルの歌謡曲もありました。
今自分がとてつもない悲しみを抱えてみて、そのタイトルの心情がひしひしと伝わってくるようになりました。
降り止まない悲しみは、それだけ大切だった者への愛情なので仕方がありませんが、ただただ降り積もるに任せていると圧し潰されてしまいます。
場合によっては歩けなくなります。
生きていられなくもなります。
払うには気晴らしもときには必要でしょうし、そうしないとメンタルがもちません。
けれどそれはやはり気晴らしに過ぎず、実際に雪かきをするように『悲しみに向き合う』ことも場合によっては必要になるのかな、なんて。
もちろん無理は禁物(^_^;)。
あらためて向き合わなくとも、毎日想っていることは事実ですし。
しかしこの、お盆の行事に(ある意味)乗って行う『帰省(供養)』は、私にとってその雪かきの一つなのかもしれません。
今年もとことんたっぷり、どっぷりと……、以前家族で暮らしたことのある懐かしい地をあちこち歩きまわりながら、愛しい大切な我が子を想い偲ぶことが、なんとかできました。
一人の力では無理ですから、そういう気持ちに向かわせてくださった様々な方との出会いと、家族親族にも感謝し掌を合わせます。
真夏の太陽でさえ敵わない、降り止むことのない悲しみの雪ですが、積雪量は少しずつ変化しているようにも感じた、三年目の夏です。
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