博多通りもん
亡き子、有ちゃんが小学生の時にオンラインゲームのチャットルームで出会い、数年間文通等でも交流を続けていた心友、奈美さんが、初めて我が家に遊びに来たのは、2017年1月のお正月(冬休み)でした。
明るくて物怖じしない、ハキハキと答える元気溌剌オロナミンCみたいなコ。
(そういえば有ちゃんはオロナミンCに目がなかった)
その日が初対面となった長女(当時大学1年生)ともゲームの話で盛り上がり、子供部屋のフロアは夜遅くまではしゃぎ声が途絶えませんでした。
そんな楽しいお正月から、一週間するかしないかで、自ら還って逝った有ちゃんのことを、自宅に帰った奈美さんが知ったのは、本人からの遺書が郵送されていたからです…。
1月下旬に行われた葬儀告別式に、再度はるばる福岡からたった一人で駆け付けてくださり、広いホールで不安そうにキョロキョロしていた制服姿の彼女を、今でも私は切なく思い出します。
本当にありがとうございました。
そして2017年から2021年まで欠かすことなく、夏休みや冬休みを利用して、もう一人の、さいたま市内の心友Aさんと一緒に、自宅弔問に来続けてくださったことも、この1月に入ってから…毎日欠かさずに思い出していました。
そうです。
誤魔化すことなどできやしない悲しい事。
突然の訃報は当たり前に信じ難く、火葬場に駆け付けてもなお実感が涌かずに、私ども夫婦とAさん親子は唖然とするだけでしたが、毎年弔問にいらしてくれるはずの1月になってから、さすがに喪失感をダイレクトに味わいました。
ああ…、やっぱり目に見える姿では来ないのか…と。
そんな折、つい先日、職場の事務所デスク上に配られていた、社員さんの出張土産『博多通りもん』という、福岡の銘菓を目にしたとき、胸が締め付けられ、手に取ることもできませんでした。
有ちゃん亡き後、奈美さんがご実家方面からわざわざ手土産にと、お供えしてくれたお菓子だったからです。
配られても手に取れず…、いや見ただけで溢れてくる5年間の想いを、どうにか封じ込めるのがやっとでした。
『博多通りもん』
傑作まんじゅうというキャッチに恥じぬ、激ウマ銘菓ですよね。
これからはもう奈美さんの手では、有ちゃんコーナーに上がることのない悔しさ。
(食い意地が張ってるわけではなく)
私たち家族にとっては、切なく愛しい『悲しみの銘菓』になりました。
5年間、本当に…、本当にありがとうございます。
有ちゃんにしろ、奈美さんにしろ、ブログに目を通してくださるご遺族の大切な人達は皆、悲しかったこと、苦しかったことは、こちらの世界に置いていけたのでしょうか。
2015年…1月、浅草花やしきで、初めて会合したときのもの。
『楽しい思い出もたくさん作れました。ありがとうございました』と、有ちゃんの遺書には書いてありましたが、その思い出も置いていったのでしょうか。
苦しい辛い思い出も、楽しい思い出も両方とも置いていったから、遺された者は頭に浮かべるたびに、やりきれない想いと共に悲しむのだろうとは思います。
でも、他界した人と、この両者の思い出を共有できているといいなと私は思い、願っているのです。
苦しかったことも、楽しかったことも。
(そんな都合良くはいかないかな)
その上で、いまはのびのびとあの子たちの魂は遊び回っていることを祈り始めている6年目。
それでもわりと近くに、時には自分と一体化して『お天の通りもんたち』を感じることもあり、悲しみを抱いてゆく道中であれ、ほんの少し嬉しいなって思うのです。
姿が見えなくとも、とても大きな存在の有り難さを。
◆自死遺族の集い
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