秋霖恋バナ日和
娘が見えなくなってしまってから、私が使い続けている彼女の持ち物の中に、雨傘があります。
かれこれ五年は使い続けているので色褪せてはきましたが、小ぶりで軽くて細身、なのにけっこう頑丈な作りなので重宝していたのですが、電車の中に置き忘れたまま、出先の駅で降りてしまったことに気がつきました。
以前も何度か失くしかけたり、置き忘れたこともありましたが、それでも取り戻してきた大切な傘です。
それこそパニックを起こして、なみだ目になって、電車で引き返して遠くの町へ取りに向かったこともありましたが…
この日は違いました。
「あっ」と気づいて振り向いたときには、電車の扉が閉まって発車してしまったのに、案外冷静だったのです。
――ああ、そろそろ、そういう時かもしれないな。
娘亡きあと、様々な意味で私の心身の『傘』になってくれていた雨傘。
もう手放しても良い頃だったということなのかどうなのか。
切ない想いはあるものの、その時は本当に落ち着いた気持ちで、これまでならありえないほど冷静に、ただ『ありがとう』の気持ちで満たされたので、そのままでその日は過ごしました。
ところがです。
たまたまなのですが、たった一人ブロ仲間さんにその話をするタイミングがありまして、すぐに返信があり、
「有ちゃんの傘は取りに行って下さい!」
「きっと有ちゃんもお気に入りで壊れる迄使っていたと思うので」
という、ズバッとした返信がきたのです。
“壊れるまで使っていたと思うので”
……思うことはありましたが、その夜はそのままに、朝を迎えました。
翌日が晴れだったら、また違っていたのかどうなのか。
今朝は小雨のさいたま市内でした。
窓の外を見ていたら、やっぱりあの傘は壊れるまで使ってあげようか!と、思い立ったのです。
(女心と秋の空?)
『JR忘れ物お問い合わせ窓口』に電話しましたが、なかなか繋がらないものですね(^_^;)。
30分くらい連続で電番をタップし続けて、やっと繋がり、乗っていた電車の線名、時間等詳細を伝えることができました。
亡き娘の傘は、その日私が乗っていた電車の終着駅である群馬県『高崎駅』の、お忘れ物窓口に届けられていたようです。
見つからなければ見つからないで、今の私なら悔やまずに、この先は過ごしていける『モノ』だったとは思いますが、でも…
“壊れるまで使っていたと思う”と、あのタイミングで即答くださったブロ仲間さんにも感謝します(^^)。
五年前、私のために買った和柄蛇の目傘を初めて差すことにもなりました。
そして亡き娘の傘を、お迎えに行ってきました。
新幹線なら往復一時間以内で行ける高崎駅(←初めて降り立つ駅)。
わざと湘南新宿ラインを使い、往復三時間強でまったりランデブーコースで、行きも帰りも、久しぶりに亡き娘とふたりっきり、長時間の対話タイムに恵まれました。
その内容は、
恋バナ。
向かって左 五年目にして初めて差したおニュー傘。
向かって右 この五年間お世話になった有ちゃんの傘。
📷photo/きんとぎん様
(二輪のデカい秋桜が揺れてるようにも見えなくもないじゃない?)
そういや、したことないよなぁ。
有ちゃんとは、恋バナなんて。
好きなコはいたのだろうか。
憧れの先輩なんかもいたのだろうか。
どんなコが好みだったのかな。
◆自死遺族の集い
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