自死への偏見や差別意識について
娘の自死から四年と数ヶ月。
その間、私自身が直接『自死に纏わる』偏見や差別意識を感じるような出来事は、全く無かったというわけでもないのですが、それほど心を傷めることなく過ごしてこれたのは、ありとあらゆる場で出会い、支えになってくださった心ある真の意味で聡明な方々のお陰も大きいのだと思います。
事後から出始めてみたパート先の職場先輩たちにも、家族の話題が上がった時から、特に隠さずに亡き娘のことも話してきました(自ら率先して話したわけでもなく、強調するわけでもなく、自然体です)。
運が良かったのか、新しい場所というのが功を成したのか、そこでも差別意識をもつこともなく、されることもなく、まずまずの社会生活を続けてきてはいます。
詳細を知ってもらった上で勤務し続けているので、生きやすい場所を作れたのかなと個人的には思っていますし、告げられた方々の自然体の接し方にも感謝しかありません。
しかし、まさか此処(ウェブ上)へきて、あからさまな偏見による『上から目線の偽善』に遭遇するとは、思ってもみませんでした。
ブログを始めてから約二年。
つい先日、とあるメッセージがAmebaのブロガーからよせられていたのです。
娘の自死があって半年後あたりから、遺族会や当事者だけで運営している自助会に参加してきた私は、そこで守られ助けられてきた部分も本当に多いのですが、その中で偏見や差別体験をしてきたというお話も多く知ることになりました。
自分が体験したことではなくとも、憤りを感じる偏見のお話は、同じ自死遺族ですので心に深く刻まれてしまいます。
それを考えると、不特定多数の方々が閲覧するブログにズバリそれについての記事を載せるのは……と、思うこともありましたが、決して個人を貶めるというのではなく、こうした『偏見』について、一般の方々も交えながら考えてみたいと思いアップします。
以下閲覧は自己責任でお願いします。
▼問題のメッセージ内容のスクショです。
私は、この方に勘違いされてる部分の釈明と(自死遺族繋がりで記事を閲覧しに行ったのではなく某創作趣味カテゴリーから辿ったこと)、自死遺族への偏見への対応を込めた文章を要約して、すぐに返信しました。
その後相手の方から謝罪のメッセージもありましたので、この方個人を(特定されないように)配慮した上でアップしています。
※どなたを自死で亡くされた方がご親友なのか
※この方がご親友に紹介された他の自死遺族ブロガーのペンネーム
※私が、どんな創作趣味カテゴリーを辿ってブログを閲覧していたのか
上記については伏せた上でスクショを載せました。
(遺族感情だけの思い過ごしではないことを伝えたかったので)
何度読み返しても『自死(自死遺族)』に対する上から目線の物言いですし、つまりはご自身が心配している自死遺族のご親友のことも、上から目線で心配してやっている?ことになりませんか。
まわりにどう誤解されるかわからないので? 自死遺族からの『いいね』が記録されるのは困るということですよね。
やってることの、支離滅裂さにも気付いていないようです。
私の要約した返信メッセージへの謝罪が、それに少しでも気付いていただけたということであれば、有り難いのですが。
偏見は、その人が生きてきた環境…関わってきた人々から長期間にわたり根強く刷り込まれてしまうものでもあり、なかなか拭い去れない、染み付いた垢や臭いなのだと考えます。
この方も、染みついた偏見を懸念し、こんなふうに生きづらい状況になっているのだろうと考えます。
これもたまたまですが、私にはそうした偏見垢が染みつくことがなかった環境でした。
中学生時代に義理の叔父が自死、高校時代に友人の一人が自死、社会人になってから同級生の親が自死したこともありました。
一人一人背景も年齢も(もちろん理由や原因も)違うということも目にしてきました。
なぜだろう?と考えることはあっても、遺族の方々を妙な偏見で疎遠にするということはありませんでした。
自分の両親もそういう姿勢でした。
どうか、こうした偏見が少しずつでも世の中から無くなりますよう、『自死』についてタブー視するだけでなく、ちゃんと本質的な部分で語り合えたり、考察していける場が増えていくことを心の底から願って止みませんし、そのためには微力ながらも、なにかしら行動に移してらっしゃる方々へは協力・応援して生きたいです。
📷初夏の花が散り始めたうちの園芸コーナーに、元気に咲いているアガパンサス(白)。
向いのおばあちゃんから去年いただいたものです。
花言葉は『誠実な愛』(^^)。
📷その横で、五月に咲ききったはずの四季咲き有ちゃんのミニ薔薇が、またにょきにょきと九つの蕾をつけていました。
植物も気持を察してくれるのかな?
ありがとう☆
◆自死遺族の集い
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