心の疼痛
今月12日で、娘が他界して3年10カ月経ちました。
自死で喪ったショックから、出来なくなったことも多々ありましたが、いくつか復活できたこと、または新たにできるようになったこともあり、それとともに悲嘆は沈静化、亡き娘への想いと悲しみを抱えながら、常に心穏やかにとまではいかなくとも、まずまず暮らせてる気に私はなっていました。
ところが、今月に入ってからどういうわけか『嫌~な苦しい気持ち』になる時間が突然やって来て………、とはいってもこれまで体験した苦しさとは違うもののようです。
仕事休み、晴天、ほどよい気温の軽やかな風を受けながら、ママチャリに乗って夕飯の買い出しの帰り道に、その『重たい苦しさ』に突然襲われました。
事後まだ日が浅い頃の、激流にのまれてあっぷあっぷしていたような苦しさとは違うんです。
こんなに気持ち良い秋晴れの青空の下、なぜこんなに苦しい気持ちが襲ってくるのか。
なんだかんだと今月は確実に三回は、突然苦しい気持ちになっています。
プチ鬱?
でもなぜ?
(亡き娘のことがあってからなのは間違いないですが)
青空とのギャップ、コントラストが強烈なぶん、異様で怖い感覚です。
ふと思ったのは、心にも疼痛ってあるのかな?
ということでした。
娘が他界した同年に、私は左肺の全摘徐手術をしていますが、創部の大きさと肋骨も一部切ったことから、疼痛はいまだにあって当然なのでしょう。
気圧の変化、お天気によっても、創部がぎゅっと締め付けられるような感じになります。
それと似た症状なのかな?と思いました。
娘の死は、とてつもなく大きい『事』でしたからね。
ただし、どのタイミングで襲ってくるのかが、今回の『苦しさ』に関しては謎です。
自覚症状があることが救いかもしれません。
それについて考察することも可能な状態なので。
それにしても、心のことは、本当にわかりづらい……。
自分のことであっても、わかりづらいです。
亡き娘も、それまで生きてきた日々の、様々な出来事たちが影響して、こうした心の疼痛に悩まされていたんでしょうか… いや、生傷が悪化していく状態に近かったのか、……なんて考えてみたり。
ぐるぐるの11月。
📷そんな折、(今年1月に実母が亡くなったので)喪中葉書を作る際、整理していて見つけた、亡き娘が描いた2015年賀状です。
宛先不明で戻ってきたもの。
(弔問に来続けてくださっている親友ちゃん宛ての一枚)
これを見た瞬間、当然悲しくはなったけれど、少し気持ちが和みました(^_^;)。
なかなか笑えるイラストでしょう?
これも御守りにしよう。
最強の守護神☆と言えば大袈裟ですけど、亡き娘は、こうして私のピンチを救ってくれているように感じます。
『天? 地? で見守っています』
― 遺書より引用 ―
そういや私、ひつじ年…!
◆自死遺族の集い
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