コロナ禍(夏)に乗って☀🌊🏂
続く…収束の見えないコロナ禍で、亡き娘のお墓のある八戸への盆帰省、今年は本当に悩みました。
地元民各家庭の(大袈裟ではなく)、親族のお盆帰省は恐れられていて、できるなら今年は控えてほしいと、無言の圧力ですね。
や、八戸在住の実妹には、「今年はうちの子たちも東京から帰省しない。母の初盆はあるけど、私と父でやっておくから」と、しっかり言葉で制止されていました。
けれど、こちらも勝手ながら思うところがあり、一言返しましたが、口論は避けて一週間の予定を二泊三日に短縮し、お盆帰省を“させて”もらいました。
(主人の実家では特別何も言ってこなかったらしいです)が、我々が帰省中は義妹さん家族は、実家で出会さないよう、どこか近場へ旅行にでかけていたようです。
こんな状況下、マイカー帰省も考えてはいたものの、他県ナンバーでは止めたほうがよいと実父から言われ、また、ニュースなどを見ても新コロ絡みの芳しくない事件が地元で起きていたので、結局新幹線を使うことになりました。
📷娘と実母のお墓が並ぶ霊園内。
墓地のまわりには桜の木がびっしり植えられていて、夏には木陰となり涼むことができます。
この夏はコロナ禍のお陰で、この霊園内をたくさん歩きました。
最低限の外出にとどめ、実家近くの霊園やコンビニを行き来するだけという、ひっそりとしたお盆供養。
主人とも(密を避け)それぞれの実家に分かれて宿泊したので、話す相手もいない(濃厚接触を避けるため実父や妹とも帰省していながら電話やLINEでやりとり)、やれやれですが(^_^;)………亡き娘と実母を思い偲んで過ごすことに集中できる貴重な二泊三日になりました。
📷いまだにうちの墓誌には亡き娘の名前しか刻まれていませんが、今年からは横隣のお墓には私の実母も刻まれたので、寂しくはないかな? なんて自分自身に言い聞かせてみたり。
「今年はこっちも暑いねえ、お前は暑いのが苦手だったからキツいんじゃない?」と、水を多めにバケツごと浴びせてやりました。←おい
仏間でも墓地でも一人呟き星人と化し、おもいきり怪しい人物に(;´∀`)。
📷迎え火、送り火。とは言いますが、私の気持ちの上では(亡き人々との盂蘭盆会に供え灯火し、いつもより明るく故人を照らして思い偲ぶ)、こちらからの『贈り火』と脳内変換されています。
亡き娘は常に彼方と此方を行き来し、遠からず近からず魂は傍に居てくれてると日々感じているので、お盆に帰ってくるぞ~というより、お盆は(普段あまり思い出さない先祖や故人も集めて、皆でパーティーだよ~ という感じ。
そのパーティー会場への案内を兼ねておもてなしする灯り、此方からの『贈り火』というわけです。
そんなことを言うと、本来の意味とちょい違うだろ、とツッコミを入れられそうですが、捉え方として悪くはないのでは。
霊園お盆散策では、亡き大親友のお墓前でもおしゃべりしてきました。
(愚痴も話してスッキリンコ?)
親友は、はた迷惑だったことでしょう 笑
📷冷酒とホヤの一夜漬け。
主人と私と亡き人々との密なる盆会食は、地元で人気のお寿司屋さんで。
亡き娘は食いしん坊、亡き実母はお酒好きでしたからねぇ。
📷行きも帰りも新幹線の中はガラガラでした。
ソーシャルディスタンス10メートルは保たれていたんじゃないか!と思ったほどです😅。
そのぶん、彼方とは密に過ごした2020年夏。
これもある意味“禍福倚伏”ということでコロナ禍(夏)波に乗り、なんとか溺れずには済んだかなぁ、と。🌊🏂
☀ ☀ ☀
さいたま宅に戻ると、藁で出来た精霊馬がニャンズに噛まれてボロボロになっていました(◎-◎;)。
ま、いいでしょう。
亡き娘はそれに跨がろうが跨がるまいが行ったり来たり、魂は常に傍に居てくれてるはずですから。
◆自死遺族の集い◆
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