勧酒
久々に見た、亡き娘の夢。
ぬぅ~っと、顔だけ出してアピールしてきました。
こちらの様子を窺うように。
*
先日、主人が仕事遅番の日、先に長女と二人で夕飯を食べているときに、
「家を出ようかなと思う。都内に、Mと暮らす部屋を探してる。予定では今年秋。冬になる前」
と、打ち明けられました。
『M』は長女の二つ年上の彼氏。
大学のサークルで出会ってから、かれこれ五年は付き合っている同窓生です。
その彼氏Mと初顔合わせしたのは次女のお通夜の日。
あどけなさの残る顔に、ひょろりとした身を喪服に包んだ青年と、葬儀会場の2階フロアで初対面の挨拶を軽く交わしたのを記憶しています。
事実は小説よりも奇なり。
こんな形での初対面の挨拶になるなんて……。
妹を自死で喪った長女と距離をおくどころか、その後もずっと心の支えになって、卒業後もお付き合いを続けてくださったことはとても有り難いし、喜ばしいことです。
一緒に暮らすことを告げられたときも、反対する気持ちはまったくありませんでした。
けれど、
――家を出る。
(そういやもっと早く、卒業と同時に出たがっていたよなぁ)
(それにしても……)
――さよならだけが人生だ。
ふと、頭を過った言葉。
中国の詩人于武陵(う ぶりょう)が詠んだ漢詩を、小説家井伏鱒二(いぶし ますじ)が訳したモノ(の一文)。
『勧酒』
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミ ツガシテオクレ
ハナニアラシノ タトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
ラストの詩訳一文が一人歩きでもしたかのように、大抵の人がどこかで聞いたことのあるフレーズではないでしょうか。
別れの詩だそうです。
自死による次女の他界は、まるで想定外の死別でした。
その後、壮絶な悲嘆の嵐が止むまで耐え続け、事の衝撃で粉々になった大切なモノたちを少しずつ片付けながら、ときにその破片で傷ついても、一緒に過ごし生き続け、ある程度の家庭復興状態までに漕ぎ着けた“同志”“戦友”ともいえる長女が家を出る。
それは死別とは違い、生きて居る姿で会えないわけではないので、悲嘆はないとしても、やっぱり寂しいです。
さよならだけが人生かよぉ~!と、この言葉を思い出し、グレそうになりました。
でも、近場のスパでアロマサウナに入り、ダーーーっと涙と汗を流したら、わりとすぐにスッキリ(;´・ω・)。
ダテに自死遺族、逆縁の悲嘆サバイバーとして三年半生き延びてきたわけじゃないのだと、鍛えられた?自身のメンタルに少々驚きました。
や、❌『鍛えられた』のとは違う、物事の捉え方に柔軟性が出てきたというか、(でないとポッキリと折れてしまいますから、必然的に心が学習したのかもしれません)。
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「サヨナラ」ダケガ人生ダ
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さよならだけが人生でも
いつかはみんな 後世で逢う
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
出逢ったが最後、続く御縁
「有難う」遺し 人生 完
『続・勧酒』オマケ日本語詩文/ポピー(^_^;)
出逢い、交流を持てた人たちへ感謝の気持ちを絶やさずに生きて逝けたら、それがベストでしょうね。
(なかなかそうもいかない場面や出来事もありますけど…ゴモゴモ)
📷次女のお通夜で出逢えた長女の彼氏を交え、あらためて我々家族とお食事会をしました。
場所はやはり『アルピーノ村』。
出掛けに、主人が小声で小さな仏壇に語りかけた一言は、
「ゆうちゃんも一緒に食べに行けたのにな」
でした。
こらこら……、一緒ですよ。
嫌でもついて来てますよ、あの子なら。
(デザートワインも我々を通して味見してたはず)
ぬぅ~っと顔だけアピールして夢に出てきたのは、たぶんそういう暗示でしょう。
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