私だけのショパン練習曲10-3
日本では『別れの曲』の名で広く知られている、ショパンのピアノ練習曲(エチュード)作品10第3番ホ長調は、作曲したショパン自身も「これ以上美しい旋律を作ったことはない」と語っていたほどの、謂わば自画自賛ナンバーだったらしいですね。
ピアノの練習曲といえば、ハノン、バイエル、ツェルニー。
それらを聴き比べてみて、ショパンの練習曲は一線を画していると思うのです。
テクニックの習得だけではなく、もっと奥深くにある音楽的な感覚・感情・旋律の美しさの表現力を高めるべくエチュードの要素として、一曲に盛り込んでいるような。
西欧では『Tristesse(悲しみ)』、フランス語圏では『L'intimité(親密、内密)』、英語圏では『Farewell(別れ、別離)』というショパンの練習曲10-3、私も好きな曲の一つでしたが、娘の自死に遭ってからは、聴くことができなくなっていました。
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14歳(享年15歳)で自ら他界した亡き娘は、5歳のときから12歳までピアノ教室に通っていました。
私自身も(下手の横好きであれ)ピアノを弾くのも聴くのも好きなので、二人の娘たちにも習わせていたのですが、『なにがなんでも続けたい!』という熱意を当人たちからはそれほど感じなかったので、中学進学に合わせて教室通いを辞めさせました。
(部活、学習塾もあり、時間的に厳しくなるのも理由の一つ)。
そして亡き娘には明確な理由がもう一つありました。
「絵を習いたい」と。
なのに、実際は予想通り、部活と学習塾でいっぱいいっぱいになり、絵の教室へは通わせていません。
その代わり、美術館へはできる限り連れて行って、様々な作品を鑑賞させて……「良いものを見ることも大事なんだ」と、親のエゴで満足していたんです。
なぜこの時に絵の教室へ通わせなかったのか、でなければなぜ美術部に入部させなかったのか、今になって考えればやはりバカ親だったとしか思えません。
主人と二人、「将来的に芸術の道へ進むにしても、根性を鍛える必要があるだろう」と、まず中学では運動部で心身ともに鍛えて~~高校へ進学したら思いっきり美術をやらせよう!なんて、子供の気持ちより自分たちの作った未来のビジョンに重きをおいた方針でエゴを満たす、始末に負えないバカ親ですね。
このピアノに関しても、今思えば亡き娘は、本当は続けたかったのかな? と、思い出してみては悔やまれることがあるのです。
亡き娘は、極めてピアノが得意というわけでもなく、小学校の合唱コンクールがあっても、クラスのピアノ伴奏者に選ばれたことが一度もなかったけれど、お稽古で出された練習曲を本人なりのペースでじっくり生真面目に練習していました。
失敗して躓きながら弾いているピアノの音色を思い出すと、今でも愛しくて胸が締めつけられます。
そんな亡き娘が、最後の練習曲として自ら「弾けるようになりたい」と選曲したのが、この『別れの曲』でした。
その年の発表会までには間に合わなかったけれど、ピアノ教室最終日に、先生へのお礼をするために一緒に行った私の前で、お披露目してくれたんです。
つっかえながらも一生懸命弾いてくれたショパン。
ゆっくりのテンポで、丁寧に、躓いても楽譜を見ながらしっかりと音を拾って、一番激しい盛り上がり部分でも何度か止まりましたが、最後の最後まで楽譜を追って完奏したことに、私は目頭が熱くなったのを憶えています。
決して器用なタイプではないけれど、真面目で一生懸命。
そして、私だけが聴いた亡き娘のショパン。
(音源ファイルでの保管もありません)
📸写真は小学中学年の頃
事後三年過ぎて、亡き娘の部屋の本棚断捨離をしていて、練習していた時の楽譜を見つけました。
練習曲とはいえ難易度の高い曲を選ぶなんて、ひょっとしたら「もっと習っていたい!」という意思表示だったのだろうか……と、今になって考えてしまいます。
実に三年強ぶりに聴いてみたこの曲。
また一気に亡き娘の、私しか知らない事を次々に思い出して、悲しみと懐かしさ……またまた自責でいっぱいになりました。
でも……、そうだな……、たどたどしくてもいい。
生きて居るうちに『練習曲10-3』を私も完奏できたらいいな、いや、完奏したい。
あれ以来閉じたままのピアノ蓋を開けて、硬くなった指を少しずつ解してみようかなと、まずはバイエルから(^_^;)引っ張り出しています。
◆手のり地蔵づくり◆
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