おばあさんといっしょ♪
『おかあさんといっしょ』という国民的教育エンターテイメント番組がありますが。
14歳と3ヶ月、自死でこの世を去った亡き子は、その3年後に認知症末老衰死のおばあさん(私の実母)と、今ごろはあちらの世でいっしょです。
そう、なにがなんでもいっしょであってほしい、そんな想い。
聞くところによると? あの世へ逝くと認知症も然り、この世で患ったものはすべて治るらしいですよね。
(死んだことがないので、実際はどうなのかわかりませんけれど)。
だとすれば、あの世で孫との再会………、喜びも束の間、想像を絶する逆縁にショックで悲しんだことだろうなぁと思ってしまいますが。
このふたりが別々のお墓であれ並んで納骨された霊園では、雨か雪が舞っていましたので、ビジュアル的にも悲壮感たっぷりであり、故にそう思えてしまうのでしょうか。
実母の四十九日法要の日も、故郷にある霊園墓石前の“おつとめ時”は雨雪になっていました。
ふたりとも9月生まれで、よりによって命日もいっしょの1月。
私としてはダブルで様々な思いが甦ってきますが、悲しみと同時に妙な安堵感を得られるようにもなりました。
私が必要以上に急いであの世へ逝かなくとも、亡き子は寂しい思いをせずに、ふたりいっしょ、むこうで仲良く見守ってくれているようでホッとするのです。
おばあさんといっしょ。
私はこの世で、迎えがくるまで生きるしかない。
『生きるしか』
確かにそんなふうに考えていました。
しかし、ここへきて生きる気満々を思わせる行動に出ている自分に気づき苦笑しました。
このところ大騒ぎしている新型コロナウィルスに対しても過剰反応して、現在片肺だけで生きている私はビビりまくり、毎日マスク、喉飴常備、仕事中もできる限りビニール手袋装着、アルコール除菌も欠かさずにやったり(;゚Д゚)、この土日も自宅で自粛、巣もぐり中なのです。
我が子の自死で、もう私もいつ死んでもいいや、なんて思っていたのに。
生き延びる気満々な、この行動はなんなんでしょう。
やはり、亡き子があちらでボッチではなく『おばあさんといっしょ』だと思えるようになったことは大きく影響しているようなのです。
思えば、私の大親友(病死)も、学生時代の友人の一人(病死)も、あの霊園に納骨されています。
暗いイメージの墓地が、大好きな人たちで賑わっていく不思議な安堵感。
遠い故郷の地なので頻繁にお参りには行けませんが、あの場所が在ることが、今の私の心の拠り所になっているという。
いつしか、墓地大好き人間になっていたりして(;´∀`)。
趣味は墓地の散策です♪、とか、近い将来ありえそうです。
📷『光を放つスズラン』
画像は、生前亡き子が小学校6年生のときにクレヨンとパステルで描いた絵を写真で撮り込み、パソコンソフトで画面映えするようにメリハリを付け、色調節と光調節を加えた、謂わば亡き子とのプチ共作(協作)、お気に入りの作品です。
📷亡き子の葬儀時、会場正門ロビーでも飾ってくださいました。
m(__)mありがとうございます。
趣味もいっしょ、親子三代揃って絵を描くのが大好きです。
おばあさんといっしょに、向こうでは自由気ままに所かまわず描きたいものを描いているとよいな。
私の顔にも、見えない筆でイタズラ描きしてたりね~(ありえそうでコワイ)。
私はこの世でこの先、どんな絵を描こう?
このふたりが覗き見していると想像すると、ちょい気合いが入ってきます。
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