明日の話
14歳で自死(自殺)した我が子の祥月命日のある1月、特に2020'年明けには私の実母も(認知症の末)老衰で永眠したこともあり、とても長く感じました。
それでも事後3回目となる『この時期』の過ごし方にも多少の慣れが生じてきているのか、メンタル的には1回目のそれとは比べものにならないくらい難なく過ごせたと感じます。
慣れていくことは、悲嘆からくる苦しみにとって助かる反面、ある意味どこか物悲しい。
そんな1月、今年も亡き子の親友さんたちが自宅弔問にいらしてくださいました。
生前通っていた中学校での友人たちの他に、学校外で交流を続けていた2人が、この『親友さんたち』です。
ひとりはウェブサイトを通じて知り合った、他県の子。
もうひとりは小学校からずっと仲良くしていた、さいたま市内の(別区へ引っ越した)子。
この2人とは生前、ウェブサイトを通して小まめに連絡を取り合ったり、実際に郵送でプレゼントやらを送り合ったり、夏休みや冬休みには集まってどこかへ出かけたり、家に泊まって遊んだりするような間柄でした。
(逝ってしまう1週間ほど前にも家に泊まりで遊びに来ていました)。
そして、学校の机の上に置いて逝った『いしょ』と題されたものとは別の手紙が、数日後にそれぞれ郵送されていた、つまりダイレクトメールで亡き子からの遺書を受け取った2人。
それから3年、この親友さんたちは、自宅弔問に毎年来続けてくださっているのです。
(納骨されたお墓が遠い東北の地にあるので、さいたま自宅弔問に訪れる人の割合が高い)。
事後最初の年には、同県の親友さんは母親を伴って夏にも訪れてくださったり、2年目には体調不良で1月弔問が無理となった他県の親友さんと後から申し合わせて夏休みに、とにかく3年間来続けてくださっていて、それはそれでとても有り難いのです。
けれど、(今振り返って思うとですが)事後1年目めの年などは、同級生の子たちを見ることほど辛く悲しく……苦しいものはありませんでした(^_^;)。
この子たちはこうして生きているのに、なぜあの子は自ら死なねばならなかったのだろう?
たった14歳で、この先の人生に自ら幕を引く……
なぜ?…… なぜ?……
友人たち皆を質問攻めにもしたい衝動にかられたこともありますし、実際にこの親友さんたちには問いかけたこともあります。
しかし授業中、学校敷地内での自死ということもあり、衝撃を受けたのは友人たちも一緒なのだと、別の心配もあったので突っ込んだ質疑はせずに耐えてきました。
『誰も悪くない』
『自分で決めたこと』
遺書にも明記してあったので、亡き子が遺した言葉を尊重する意味でもです。
しかしその反動も加わり、生きている同年代の子たちを近所で見かけるのが非常にしんどい時期でした。
命輝ける生き生きとしたものへの妙な嫌悪感、違和感。
電車内でも聞こえてくる若者たちの話し声……、今後の予定? 明日の話?
『明日』なんて、今この瞬間立っていることさえギリギリのメンタルで、半歩先どころか足元すら見えない状態。
あの時期から3年経ち、今年お正月明けに自宅弔問にいらしてくださった親友さんたちは高校2年生になっていました。
会話の中には構えずして『近い未来(明日)の話』がサラッと出て来ます。
2人とも大学進学希望で、ひとりは既に美術系の高校に在学していて、この先も美術大学を希望していることを生き生きとした瞳で語ってくれました。
――あれ?
これまでの弔問時には、まるで湧いてこなかった気持ちが……、自然に……。
――え?
私も一緒に浮き浮きとしているのです。
亡き子も絵を描くのが大好きで、将来はイラストレーターになる! なんて語っていたので、重ねて見てしまったのかな。
いや、これも慣れなんでしょうか。
『明日の話』を相手の立場になって一緒に語れるようになっている……、無理などしていないし、この2人の前ではする必要もない、私にとっても『親友』に近い者になっているのかな。
と、そのとき他県の親友さんが、
「高校の卒業(美術)作品をこれからやるんですが、◯◯ちゃんをモデルに描いていいですか?」と。
――――。
予想もしていなかった申し出に、一瞬言葉に詰まりました。
「え、いいの? ……嬉しいなぁ、ほんとに……?」
笑って答えたつもりが、ほろっと泣いてしまいました。
📷写真の絵は、亡き子が小学校4年生の時に、親友さんのひとりを学校の課題『友情』で描いたものです。
『明日の話』
そう、未来の話が自然にできるようになっている自分。
しかも亡き子の親友さんたちと(いや、親友さんたちだからかな?)。
またひとつ、先の楽しみができました。
親友さんたちを通して、亡き子の生前の夢も生き続けているような気もしてきて、本当にわくわくしてきました。
(私もぼーーっとしてられないね(^_^;) ← は?)
明日を作ってくださった親友さんたちに、心からありがとう。
完成させるとか気負わずに、卒業作品を楽しんで欲しいなと。
亡き子をモデルに描きたいと思ってくださったことだけで(^-^)私は胸いっぱい、お腹いっぱいですから。。。
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