嵐のあと(痕跡)

大切な人との死別に伴い、それがどんな死因であろうと自責の念はつきまとうのだと思いますが、とかく自死(自殺)で突然の死別となった場合、この自責の念は複雑且つ執拗なものとなり、人によっては致命傷になるまで心を呪縛し苦しめられてしまいます。


何年経とうが強い自責の念から解き放たれることなく、苦しい気持ちと闘い続けている遺族・恋人・親友も多いと想像しますし、私も事後から(このブログのアップ時点で)2年と9ヵ月経ちますが、この念が何かの拍子で巻き戻ってくると、気持の切り替えに時間がかかってしまいます。

それでもまだ切り替えられるだけのメンタルを保てているのは、元からの性格的なものもあるのでしょうし、同じ体験をした者同士の集いで出逢えた方々との交流のお陰もあります。

けれど中には、自責からくる自己否定の深みにハマり、苦しい気持ちに耐えられず、後追いを選択してしまう人がいてもおかしくない、それほどに辛い気持ち、体験者にしかわからない文字通り“救いようのない”思いが、自死による死別で遺された者の自責の念です。


そんな苦しい自責の念を、事後、わりと早い時期に初めて言葉にして吐き出したのは、家族の中では長女でした。

これは不幸中の幸いだったのだと今では思います。

自責を伴う苦しい胸のうちを打ち明けられずに、大切な人を自死で喪して相当の年月が経ってからわかちあいに参加して語り出す方々も少なくないことから。


〇〇ちゃんが自殺したのは、私が貸して読ませていた本(小説)の所為だ……」と、長女は堰を切ったように話し出しました。

内容を訊くと、どうやらその小説は、自殺する主役少女(ティーン)を英雄的に扱っているストーリーらしいのです。

世界を救うため??に、社会に反旗を翻し自決する少女のお話。

(※小説タイトルは伏せます)


私の所為だ。あんな本を貸したから……!


とても思い詰めた長女の表情を見た私は、これ以上悲しみの波紋を拡げてはいけないと、本能的に生きるためのポジティブな思考が働いたのでしょうか、私自身も衝撃の後のショック症状でぐるぐると渦巻いた感情の嵐の中に居ながら、とっさに長女に言い返しました。


あなたの所為じゃない。それが証拠に、そのヒットした書籍を全国で何人の若者が読んでるの? それを読んだすべての人が皆自殺してるの? そうじゃないでしょ? もしかしたら、多少なりとも影響を受けてる読者もいるかもしれないけれど、すべての人が自死に結びついたのかといえばそうじゃない。実際あなたも読者の一人なのに生きてるでしょ」と。

……(^_^;)傍から聞いていると、なんだこのやりとりは……と、笑われるかもしれません。

けれど、遺族(or近しい者)の自責の念って、こんな事で本気で自身を責めて、どんどん思い詰めていくんですよ。


これまで、たくさんの自死で遺された人々の集いに参加してきて気づいたのですが、相手が話した自責については「それはあなたの所為じゃないよ」と思っても、自分も似たようなことで散々自身を責めていたりします。

けれども、こうした気づきも得られるので、誰かに話したり文章にして読んでもらったりすることは、やはりとても大事だなと感じました。


私の自責、一番の後悔は、先立った子が部活(運動部)を辞めたいと言ってきたときに、辞めさせなかったこと。

根性と体を鍛えるため、試合に勝って強くならなくても良いから、トレーニング重視で中学卒業までは続けてね、と言い、部活を辞めたい理由をちゃんと深く聞いてあげなかったこと。

他に入りたい部(美術部かパソコン部)があると言われたものの、上記の理由で聞き入れず、高校へ行ったら好きな事にとことん専念すれば良い、大好きな絵画に関しては学校以外で様々なアーティスト展へ行ったり、また別な趣味を通して体験させているつもりでしたし。

部活が死ぬ理由とは遺書にも書いていませんでしたけど、彼女の自尊心を傷つけるような出来事が部活内であったのも事実なので、影響していることも確かでしょう。


……まだ細かい後悔をあげるとキリがないのですが、我ながらバカ親だな、アホだったなと心底思います。

でも、これをあるとき夫に話したら、「そういう出来事は誰にでも起こりうるし、俺だって学生時代にあった」と。

(そういや私も学生時代に運動部の顧問といざこざがありました)

夫は続けて言いました。

「たとえばだけど、子供の思い通り好きなことだけをやらせていれば、その子は死なないのか? そういう育て方で順風満帆だと思っていた人生でも、なにかの影響や理由で突然自殺する人だっているだろ」と。


一つの事柄が理由で皆が自死に至るのかといえばそうではない、何か自分たちには把握できていない様々なことに影響されていったその先の決断だろうと言うのです。

(私が長女に言い返した内容と被りますね)


…………。

なかなかやっかいな念ですが、それを含めて我が子への愛情なのだと気づいたこともあるので、この先も無くなることはないのだから、なるべく自分からは引っ掻き回さないように、波風を立てないように、心の奥底に鎮めて一緒に生き続けている、悲しみの一つです。


写真は先立った我が子の部屋のベランダから見える富士山です。

自宅はさいたま市ですが、秋から冬の間はお天気にさえ恵まれると、遠目にくっきりと富士山が見えます(^^)。

電線が邪魔?

個人的にはこの電線も人間の生活感が伝わり、哀愁具合が増すように感じるので、私は好きです。

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