さよならの理由
授業中、学校敷地内での飛び降り自死――第一発見者は学校見回り職員の方――。
*
その日は冬休み明けの健康診断があり、着替えが終わった順に生徒たちは自分のクラスに戻ることになっていました。
が、クラスに戻って来ない生徒が1名、それが我が子でした。
机の上に残されていた『いしょ』を生徒たちが発見して、担任をはじめその日学校に来ていたPTAの方々や見回り職員さんたちで校内を探し始めたらしいです。
すると三階の渡り廊下に、上履きシューズがきちんと揃えて脱いであるのが見つかったそうで、その校舎真下の中庭に倒れていた我が子は病院へ搬送されました。
この様子からもわかる通り、伏せようのない『事』は、テレビニュース、ウェブ上でも一気に流されていたようです。
マスコミからも生徒の親御さんたちからも、学校へ問い合わせが殺到していて、それにどう答えたらよいのかと校長先生も困惑を顕にして、私ども家族に尋ねていました。
でも――
家族の我々にも『わからない』のが本音であり、逆に『なぜ? なにがあったの?』と誰かにすがり、問い質したい心境でした。
この突然の悲報に、周りの人々の『理由探し』が始まったのです。
ネット上では、関するスレッド(コメント板)が連立し、次々にコメントで埋まっていきます。
リアルタイムで閲覧できたわけではないので、さすがに全コメントには目を通せませんでしたが、不特定多数の匿名投稿サイトなどでは、皆書き捨てるように思い思いのコメントを感じたままにあげていきます。
――この子の気持ちがわかる
――中二病
――親がかわいそう
――まわりの大人たちに人生を謳歌している人たちがいなかったんだな
――書かされた遺書だ
――学校で死ぬとは爪痕残し過ぎ
――なにかある
――いじめを徹底的に調べろ!
――これが本当なら勝ち逃げ
――ロックだ♪
……etc.
コメントは様々です。
報道されていた記事のタイトルについても、『いしょ』の中には一言もそのような文章は無いにもかかわらず、どこでどう内容を脚色するとそうなるのか、とても謎でした。
そこで、『理由』もいくつか明確に書かれている『いしょ』でしたので、捏造されたり脚色がかった解釈が勝手に一人歩きしないように、そして保護者たちの不安『学校で何かあったのか? それとも?』というような、理由がわからない故の不安を早急に消し止めるためにも、我々家族は本人手書きの『いしょ』を翌日の保護者会で読み上げることに決めました。
学校の机の上に置いて逝ったということは、皆に読んで欲しかったからに違いないでしょうし。
『いじめや虐待じゃない』『自分で決めた』というような、本人が遺したこの言葉をまわりに伝えることは、このときとても重要だと考えたんです。
結果、それでも『理由探し』は止まりません。
我が子の手紙をそのまま全文読み上げて伝えても、近所の噂では『親が勉強しろとうるさ過ぎたのが理由では』とか『両親の不仲が原因だったのでは』『お金に苦しんでいた家族だったのでは』と、見当違いな理由が遠回しに耳に入ってくるのです。
なぜでしょうね。
たぶん、本人が書き遺した理由があまりにも素朴で、誰でも一度は悩んだことがあるような事柄だったために、それが自ら命を絶つまでの決断になることだとは誰も納得いかないからなのかもしれません。
それらしい理由があったほうが、皆はきっと安心するんだと思います。
うちとは無縁のことであると、自死した子の家庭だけにあったことが問題なのだと、納得するための理由です。
我が子が未来を悲観した理由はそれほどに他愛ないことで、一度は誰もが考えて悩んだりするようなことであり、特別なことではなかったのです。
なので、親の私でさえも理由探しを止められませんでした。
なぜ死ななければならなかったのだろう?
なにかあるはずだ……、と。
学校での指導、生徒間でのやりとり、家族の……問題……?、あらゆるものを責めたい気持ち、そして自責の念で泣き崩れ、朦朧とした日々が続いていたある日、ウェブ上でとあるサイトが目につきました。
死にたいと考えている本人、または自死遺族となってしまった側の思いが切々と綴られているページもあります。
たくさんの閲覧者からの書き込みを読むにつれ、考えさせられ引き込まれ、私自身その時の苦しい思いをそこへ投稿して吐き出すことになります。
そしてその内容が番組スタッフサイドの目にとまり、番組ディレクターの方から取材の申し入れがあったのです。
顔出しはしないこと、インタビュー内容も番組内では放送しないことを条件に、『十代の若者の自死にもスポットを当てて考える番組が欲しい。誰にも言えないような死にたい気持ちを安心して語り合える場があれば』という思いを込めて、自宅で取材を受けることになりました。
取材から数か月後、その年の夏休みの終わりに放送されたのがこの番組です。
(2017年8月31日生放送)
その翌年も今度はディレクター2名の方との取材&会合がありました。(2018年8月31日生放送)
『生きるのがつらい10代のあなたへ』のとりくみは続けられているようです。
気になった方はそれぞれのリンク先へ飛んでみてくださいね。
様々なご遺族の書き込みに、ふと思い当たる節があったり、共感だったり、なにかこれまでは無かった気づきがあることを願って……。
とはいえ、いつかあの世で死別した愛する人に訊いてみるまでは、理由探しや個人的な分析は続くんでしょうねぇ(^_^;)。
先立った事実はいずれ受け入れるしかない、けれど愛する人の自死を納得できるはずなどないのだから仕方ないですね(;・∀・)←と、納得することを諦めたら少しラクになったような。
これほどの悲しい死別を体験させられて腹が立つこともありますが、どうあがいても大好きなんですよ、亡き人が、先立った子が……!
📷写真は、学校の机に我が子が描き遺した最後の鉛筆描きイラストと『さよなら』の文字です。(先生方が消す前にメール添付送信してくださいました)
癒し系キャラの可愛いイラストをどんな気持ちで描いていたのか、ほんと…わからないことだらけ……。(ついてけないよマミーは……orz……)
そんなこんなで、さよならの理由探しは、まだ時々ぐるぐるやっています(;^_^A
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