今でこそ

去年暮れに、自分のケータイ(スマホ)保存ファイル等の整理や断捨離をしていて、気になる動画や画像を見つけました。


2016年の晩秋あたりの記録。


亡き娘 有ちゃんが、学校で使う手ぬぐいにアイロンをかけ終えたあと、そのままアイロン台にうつ伏せになり、爆睡していた動画です。


📹撮影は長女


私と共有したのでしょう。

(家族のプライベイトな会話がちょこちょこ入っているので、動画から画像にカットして載せています)



長女が心配そうに、


何時に寝ているの?

大丈夫?


と、声かけをしてくれているのに、胸がしめつけられる思いがしました。




画像に頭半分写っている私ときたら、『どんだけだよ〜』『うずくまってまるまってるひとがいるけど〜』なんてノー天気なことを言いながら、片付けを手伝っているだけ。





きっと、この頃は既に、メンタル的に異変が起きつつ眠れない夜を過ごしていて、日々疲れ切っていたのだと、他の写真からも気づくことがありました。



本人でさえ、不調を訴えられない、なんだかわからない具合の悪さ、疲れ。


私も主人も何気に声かけはしているものの、真剣に?心配しているのは長女だけだったように感じました。




ある日突然自死で………、なんて思っていたのは家族も含め周囲の人たちだけで、本人はけっこう長期間こころの不調から身体の疲れが出始めていたのだと、今さらながら気づかされたのです。

(遺書にも『2016の春あたりから(逝くことを考えていた)~~』というようなことが書かれていました)


それを裏付けるような『見た目でわかる疲れ』が、夏以降からの写真や記憶に残るエピソードにもあるのです。

(お盆帰省で有ちゃんお初の湊朝市に連れて行ったときに、具合が悪いといって一人ベンチに座っていたり)



📷2016年8月、お盆帰省中、車の中で。


単なる居眠りとして考えるには、こういう場面が多すぎた夏~秋~冬~………。



事後からもうすぐまる8年経つ、今の(わりと)穏やかな心境だから気がついてきたことが、ほんと………今だから、かわいそうだった、不憫に思う気持ちが強くなってきました。


とはいえ、此の世からの去り方そのものを不憫に思うこと、かわいそうだったとキッパリ認められるようになったことは、私にとってとても大事なことだとも思いました。




去年、能登半島が豪雨に襲われたとき、地震の爪痕に追い打ちをかけるような土砂で、あちこち被害が出たニュース、自宅で一人留守番をしていた中学生の女の子が亡くなった悲報を聞いて、ああ………! 同じだよ………!

あの日、あの時、追い打ちをかけられるような強い希死念慮に圧されてしまったのだよね………


そんなふうに本当に衝撃が走りました。



自死について、解明されていないことも多く謎めいたところもあり、周囲にとってはショッキングだけでなく分からな過ぎて恐ろしいと感じることですけれど、どうしようもない何かに圧されて逝ってしまったことには間違いないと、やっと私は解ったように思いました。


(もちろん、その原因となったもの、キッカケとなったものは各々違いますし、見えないこころの中で発症してから至るまでの時間も各々違うのでしょう)


突発的な衝動性の高い人もいれば、うちの有ちゃんみたいに長期間揺れ悩み希死が進行していったケースもある。


進行していく中で、症状として周囲が気づけて通院や入院をしている中で、それでも至ってしまう方もいるでしょう。



かわいそうだった。


なんとか助けてやりたかった。


救えるものならあの日救いたかった。


土砂で圧死した中学生さんに感じた気持ちと、本当に重なったのです。


(たぶん事後直であれば無理だったと思います)



自死に関して、何一つ知識も見聞もなく、ましてや考察などしていない………できる状態ではなかった。


そういう意味では、大変悲しい災害から考えさせられることがあったわけでして、亡き娘の想い方も、これまでとは違ってきました。




かわいそうだった。


喪った家族もかわいそうだった。私自身も………


(何気に過去形でもありますが、気持ち的に整理されてきているからでしょうか)




これまで大きくこころを占めていた『なぜ? どうして?』が、自死というカタチに対して、我が子に対してはなくなったようです。


(原因についての『なぜ?』は、遺された者の憶測だけになるケースも)



そうした考え方がよりシンプルになってきたので、思いっきり供養と祈りが捧げられるというのか、もう本当に祈るのみになってきました。



冥福を祈る



事後直では、正直ピンと来ない、受け入れられない言葉(考え方)でした。


でも今現在の私は、本当に、シンプルに、祈り続けています。



我が子の自死を、美化もしていません。

(かつてあまりの苦しさに、落ちの無い短編小説で表現したことあり💦)



 ――辛かったね、気づいてあげたかったけど、できなかった、助けられなかったね、ごめんね。



今さらながらではなく、今だからこそ、どこにいようとも安らかでありますように祈り続ける毎日になってきています。


そして年々、他の死因との、自分の中での垣根も、なくなっていく感じもあります。



気持ちの面だけでなく、健康面でも先のことは分かりませんが(^_^;)、今年もどうぞよろしくお願いいたします🌟🌟




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