最期の診察券
事後から7年めの年末…大掃除、それまで行き届かなかった場所にも手を伸ばせる気力が湧いてきたのは良いのですが、リビングの片隅にある引き出しのポーチから、有ちゃんの診察券がごっそり保管されていたのが出てきました。
小児科、耳鼻科、眼科、整形外科、歯科、皮膚科………通院歴のある病院の診察券たちです。
一枚一枚めくって見ていると、その当時のことが妙なリアリティを持って思い出されます。
「ああ…あの子、ちゃんと此の世に生まれてきて家に居たんだよね」、「あの時の通院は長引いたよね、一緒に通って治したよね」とか…、実に生々しく想いを馳せること小一時間。
そりゃそうですね。
生きるために手にしてきた診察券だもの、と、暫し掃除の手が止まってしまいました。
その中でもひときわ目を引いたのが、この真新しい診察券です。
あとにも先にも、この病院に運ばれたのは一度きり。
最初で最後(最期)になった「あの日」に作られた診察券でした。
自分の中では、誰かに訊かれることでもないと思い出さないように無意識に蓋をしていると思われる「あの日の事」が、一気に押し寄せて脳裏に浮かんできてしまいました。
…これは…マズイかも…
そう思いつつ、とりつかれたようにこの診察券から目が離せなくなり、とことん「あの日」を思い返してしまった年末大掃除。
しかし、フラッシュバッグに陥るのかと思いきや、眉間にしわを寄せながらでもさめざめと静かに冷静に、きちんと思い出してやれたのです。
もうすぐ7年経つね。
7年前にひとり思い詰めて還ってしまった有ちゃんの「あのとき」に、じっくりと想いを馳せることができるようになってしまったよ。
なぜ? という疑問はもうそれほど無い。
理由は「いしょ」にちゃんと書いてあったのに、まるで理解不能だったあの日とはもう違うんだ。
原因は…後になっては憶測になってしまう部分が多いけれど、それでも私なりに精一杯考え尽くしたよ。
やっと、じっくりと悲しんであげられるようになった。
やっぱり残念だし、勿体ない命だったよ。
こんなふうにしか解決できなかったのを不憫に思うよ。
そうして、
「だった」「できなかった」という過去形に落ち着いてしまったよ。
今年、ブロ仲間さんが仰っていた「やられたんだと思う」という言葉が、個人的にはとても納得できたのでした。
その根底にあるものは、死因としては別表記でも、(医療を必要とした病死、事故死、自然災害等による死)様々な死と、余程の違いはないということなのか。(それとも)
そうなる運命だったとか。
生まれる前から決められていたとか。
冗談じゃないぞって、今の私は言い切っています。
だからこそ悲しんで愛しんで、供養を続けていくよ…と。
様々な遺族会等で出会った皆様も然り、
ブログを読んでくださった皆様、コメントくださった皆様、そこから交流に繋がった皆様、2023年も気づきをたくさんありがとうございました。
私の悲しみが今後どういうふうに変化していくのかわかりませんが、有ちゃんが先立ってしまった彼方まで、2024年はどう歩いて行こうかなと、己の抱負なんぞを、地味なりにやっといだける今になってきたように思います(^-^)。
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