追憶

5年ぶりに通院し出した、かつて亡き娘 有ちゃんと通っていたご近所の歯科医院で、歯石取り中に虫歯を3箇所見つけられてしまいました。

(痛みがないうちに、次回から治療に入ります)


………………

そして実は、この通院再開で、左舌の根もと…喉の奥から手前にかけて、ぼよ〜んと白っぽく腫れているのに気がつきました。


一週間様子をみていましたが、鈍痛、腫れも増していくように見えました。



昨今はウェブ上で検索すると、あらゆる病気の症状や患部の様子が詳しく画像付きで載っていたりしますよね。

それらを見、ネットで得た情報から更に気になっていった私は、歯石取りのついでに異変部分を診ていただきました。


その日担当だった方によると、左奥の舌脇に血腫があるので医院長に一度診てもらい、精密検査の必要性があるのか判断してもらったほうが良い、とのことでしたので、翌日の朝イチで予約をし、再度診察していただくことになりました。



内心、これはただ事ではないのだなと…、途端に異変部の左舌奥だけでなく左首のリンパや、頸椎付近の痛みも出てきて、ひょっとするともう全身に…?というような想像にまで至り、手術や治療法もネットで調べて見たり、一気に思いを巡らし、神経をすり減らしていました。


けれど、以前『左肺全摘除』を余儀なくされたときに比べると、妙に落ち着いているのも否めません。


それは、亡き娘をはじめ、ほかにも、心と魂で繋がり続けている大切な人たちが、既にあちらへ逝って居るということが大きく影響しているのだと思います。


強がりではなく、『死』自体は以前のように恐れるものではなくなってしまいました。



 ――先に還って逝った皆に逢えるかな、逢いたいな、逢えることを祈ろう。


 ――こちらの世界に遺していく家族や、交流を持てた皆様には、(余命宣告を受けたならば)悔いのないように感謝の気持ちを示しながら過ごそう。



以前はあったであろう『命根性汚さ』というのか(^_^;)、『生』への執着は『無』に近い状態になっているように、このときは思えました。




ところが、実家の八戸で一人暮らししている実父のことが思い浮かんだとき、逆縁の辛さを父にまで経験させてしまうことが申し訳無く、父よりほんの僅かでも長く生きたいものだと思い直しました。


それと連動して、今自分が(ささやかなりに)『まわりの人々と協力し合いながら、着手していること』についても考え出しました。


 ――あともう少し時間が欲しい。一年? いやそれじゃあ足りない。



続けざまに、もうすぐ3歳になる家の保護猫たちのことを思いました。


 ――せっかく仲良くなれたのに、もう少し撫でてかわいがりたかった。私が居なくなったら主人は面倒をみれるのだろうか、見知らぬ誰かの手に渡ってしまうのは、飼い猫にとっては凄いストレスだろう。せめて彼らを看取ってから逝きたい。


………………

なんということか、この世への執着心…未練が、めらめらと燃えたぎってきたのです。

娘に先立たれてからは、いつ死んでもいいようなことを言っておきながら、まだ死ねない理由を次から次へと自身の焔に焚べていることに、唖然としてしまいました。


挙句、


  ――このまま死を受け入れるとしても、死ぬまでの間、(延命)治療にしろ、闘病中の『身体的な苦痛』は省略できないものか…


と、『生』から『死』へ向かう途中の苦しみや痛みに耐える時間を短縮する方法を(自死以外で)考えたり(なぜって、自死は悲しみの波紋を広げてしまうので)、一晩中頭を悩ませながら、そのくせ中途半端な悟りだったり、この世への執着…未練だったりで妄想を膨らませ、朝までうつらうつらしていたという、情けないことになっていました。




翌日、主人も一緒に歯科医院に出向き、診察室まで入ってもらうという臆病さ加減。


結果は、


『ストレス性もしくは思い込みから起こる、あるいは虫歯が原因で起こったりもする舌炎』。


病理検査等にはまわされず、うがい薬が処方されました。




病は気から…、なんていいますが、人間は思い込みだけでも、体の調子を大きく崩してしまうものなのですね(^_^;)。



あの血腫はなんだったんだ。


痛みは?


リンパの腫れ?


いつ死んでもいいって、??


結局、今すぐ死ぬわけにはいかない…って、

ガタガタおろおろしていたじゃない。



私には、この世に引きとめるものが、どうやら今もあることに気づいた今回の出来事。


けれど、自死で亡くなった娘には、この世に引きとめてくれるものは、あの瞬間なかったのでしょうね。


まだやりたいこともあったけど』と、遺書には書いてあると同時に、『今死なないと、もう死ねない』というのもあり。

つまり………

“自ら死ぬ”ことは、今しかできないということでしょうか。

(だって、死は誰にでも平等にいつかやってくるのだから)


こころが痛かったとき苦しかったとき、今回の私のように声を上げて周囲に伝えることができなかったのでしょうね。


私の場合、こころの中とは違い、見た目でも異変に気づいて、医者に診てもらえた。

舌炎ではなく悪いモノであったとしても、程度により的確な治療を行えたでしょうし、サポートしてくれる医療従事者さんたちも付いてくれたでしょう。


娘は、なかなか見えづらい部分の痛みと苦悩に独りで向き合っていた、そうして思い詰めて、自分では手の施しようがなくなり、苦悩から解放される方法として自ら還ることしか考えられない状態になっていった。


独りで、最後の最期まで。




思い過ごしだったにしろ、自身にちらついた今回の『死の影』から、『娘の自死』の不憫さをあらためて思いました。


予兆もなく、気づけなかったと仰るご遺族が多いのは、わかりづらいこころの中のことだから。



手遅れになる前に、どうしたら良かったのか。


6年目の春、今でも私は時々ですが思い続けています。

なにをどうしたって戻ってくることはないのだよと言われたとしても、考え続けることは無駄ではないと思いますし、生かせる場面に出くわした時には出来る範囲で動いてみたり、それが亡き娘と私自身の供養でもあると思っています。




📷3月に入りやっと咲き始めた家のクリスマスローズ。



控え目に俯いた佇まいには、静かに祈りをささげる人々の姿を重ねて見てしまいます。


花言葉は「労り」「追憶」「慰め」「私の不安を和らげて」「私を忘れないで」…「中傷」というのもあるらしいですね。

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